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今年は終戦60周年と言うことでメディアでの戦争特集がいつになく多い。広島・長崎での慰霊の模様や、当時の被害の状況も改めて新聞等で大きく報じられていた。
朝日新聞でも長崎の被爆の模様を見開き二ページで紹介していた。ただ、どこを見ても、「ナゼ終戦ぎりぎりの段階で原爆を落とされたのか」という分析が無い。 アメリカ人の多くは、「原爆があったから戦争終結が早まった」として良心の呵責を感じないと言うが、これは大きな間違いだと思う。なぜなら、日本がすでに瀕死の状態で継戦意欲も戦力も無く、必死になって和平工作を展開しようとしていたのを、彼らは暗号解読によって全て知っていたのだから。 日本の暗号は「紫」と言われ、開戦当初はアメリカ軍の全能力を傾注しても全く解読できなかった。しかし解読できない暗号など存在しない。全くの偶然で暗号端末機が入手され、さしもの無敵暗号も次第に解読される。ドイツ軍「エニグマ」暗号と同じ末路を辿ったのだ。 問題は日本側が、終戦まで暗号解読されていることに全く気づかなかったことだ。戦争末期になると、前線への指令はもとより、在外公館との訓令類に至るまで全て解読されていたのだ。これでは作戦も戦略もあったものではない。 45年7月になると、日本軍の集団継戦能力はもはや消滅していた。陸軍はなお本土決戦を叫んでいたが、その戦力が無いことはもはや誰の目にも明らかだった。ソ連を交渉役にした和平交渉が行われ、さらに欧州の在外公館を舞台に真剣な和平交渉が画策されていた。 日本政府・軍部が戦争終結に踏み出せなかった大きな理由は、ポツダム宣言にある「無条件降伏」が国体護持(天皇制の維持)を否定しているのかどうか、その確証を掴めていなかったからだ。連合軍はわざとそこを曖昧にしていたが、もはや日本側に選択枝があるわけでもなかった。 確かにアメリカ軍は9月以降、本土上陸を意図した「オリンピック作戦」「コロネット作戦」を計画していた。その企画上で、日本側の捨て身の抵抗により数十万単位の死傷者がでるという予想が出ており、それを原爆投下により回避できたではないか、という学者連中は多い。 しかし日本側にはもはや継戦意思すらも尽きかけていること、和平の糸口を必死に探っていることを、暗号解読により彼らは全て知っていたのだ。日本側の僅かな防衛拠点など、B29の無差別精密爆撃によっていかようにも粉砕できたはずである。 その命脈が8月には尽きそうだと知って、さらにソ連の火事場泥棒的参戦が近いと分かり、開発したばかりの原爆の使い道がなくなることを恐れて、あわてて広島・長崎に使用した。 百歩譲って一発目の原爆使用は仕方なかったとしても(私は絶対にそうした意見を認めないが)、それを非戦闘員の住んでいる街中で使用する意味がどこにあっただろうか。その威力の凄まじさは一発で十分日本側に伝わっているのに、さらに二発目を使用する意味はさらさらなかったはずだ。 私は太平洋戦争の意義について決して右派の意見に同調するものではないが、米軍の原爆投下だけは決して許されない行為であると思っている。日本軍も南京大虐殺やバターン死の行進をやったではないか、という輩がいるが、それは程度と中身を無視した愚かな論理である。 米軍の原爆使用は、その後に控えていた米ソ冷戦を有利に戦うためのパフォーマンスと、その威力を測る為の実験だった。戦争終結はその副産物に過ぎない。 そのために彼らは非戦闘員を一瞬にして30万以上殺し、そして何世代にも渡って原爆症を残した。 この憎むべき事実を、日本政府はアメリカに対してもっと声高に追求していくべきではないか、と常々私は思っている。人類史的にアウシュビッツと並ぶ程の許されざる行為として。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2005年08月10日 18時06分28秒
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