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今日の朝日一面に、「東京大空襲・遺族ら国提訴へ」という記事があった。1945年3月10日、米軍のB29による無差別焼夷弾爆撃により東京一帯が火の海となり、一夜にして10万人以上の命が失われた。これを「東京大空襲」と呼ぶ。
私はこの見出しを読んだとき、遺族達がアメリカを相手に提訴に踏み切ることかと錯覚した。しかし内容は異なり、遺族は賠償・謝罪を求めて国を提訴する予定であるという。 空襲の遺族・被災者ら民間戦災者は、戦傷病者・戦没者遺族等援護法が適用される旧軍人・軍属の遺族と違って、補償が一切行われていない。焼け出されて文無しになっても、国は一切補償してくれなかったのだ。 100人を超える遺族・被災者らが問題にするのは、この差別的な取り扱いを放置してきた国の「立法不作為」の違法性。等しく戦災にあったのに、補償される者とされない者の差別を問題にするわけだ。 これは相当難しい問題だ。遺族の気持ちは十二分に理解できるが、この申し立てが通る可能性は相当低い。87年に名古屋空襲の被災者に対し、最高裁が「戦争犠牲ないし戦争損害は国民の等しく受忍しなければならなかったところ」という判決をすでにだしている。 もともと当然ながら国に責任はある。勝ち目のない戦争をだらだらと続けたせいでこの大空襲や原爆まで浴びることになってしまった。しかし戦災を受けた国民に補償を行うような余裕が戦後の日本になかったこともまた事実だ。同じ敗戦国のドイツやイタリアでも、民間被災者への補償は行っていないのではないか。 「卵が先か鶏が先か」のような議論になるが、私は軍事施設以外の大都市への無差別爆撃こそ「文明への罪」として訴追すべきだと思う。アメリカにすれば戦争をしかけた奴が悪いんだ、となって議論は堂々巡りになるが、原爆を含む大都市への無差別爆撃は「戦闘」ではなく一方的な「虐殺」であることは明白であり、意図的に民間人を虐殺していこうとした行為はナチスのユダヤ人虐殺と殆ど変わらない、と私は思っている。 今朝の記事を読んで、あの「東京大空襲」の後始末は未だに全く終わっていないのだということに改めて気づかされた。この裁判の行方を注意深く見守っていきたい。 ※下に昨年3月5日の日記を再掲します。興味を持って頂いた方はご覧下さい。 六本木ヒルズで「東京大空襲展」を開催しているとニュースで見た。人と人が殺し合う戦争で汚いとか酷いとか云ってもきりがないことは分かっているのだが、二発の原爆投下とこの東京大空襲を頂点とする米軍の無差別焼夷弾爆撃は、軍人や軍関連施設でない場所を恣意的に攻撃した点において、重大な戦争犯罪だと私は今も思っている。 今から60年前の3月10日未明。サイパン・テニアンから飛び立った325機のB29は一機につき約6トンの焼夷弾を積んでいた。 指揮官の第21爆撃団のルメイ少将は、それまでの爆撃効果報告から、日本の都市爆撃には高々度からの精密爆撃よりも低高度からの焼夷弾攻撃の方が効果が高いと推測していた。日本の家屋は木造が多く、通常爆弾による破壊よりも焼夷弾に因る延焼の方が被害を与えることが出来る、と計算したのだ。 それまでB29は高度8千メートルから1万メートルの高度から爆撃を行っていた。これに対する日本の迎撃体制は貧弱極まりなく、高々度迎撃用の戦闘機、レーダー、さらにはパイロットの質的低下により、B29には全く歯が立たなかった。 この3月10日、日本軍の抵抗が貧弱であると見抜いたルメイは、なんと全爆撃機から機銃を降ろし、その分余計に焼夷弾を積ませた。その結果、通常の二倍近い搭載量となった。 結果は恐ろしいものだった。二時間半の空襲で10万人が死亡、12万人が負傷。100万人が家屋を失った。東京全体の2割近い26万戸が消失した。その火災は240キロ離れても眺めることができたという、地獄の業火が東京を燃やし尽くしたのだ。 国民を守ると豪語していた日本の防空能力は全くお粗末だった。この日、米軍の出撃数325機のうち撃墜は僅かに14機。日本側は夜間飛行可能な搭乗員が少なく、40機ほどが迎撃できただけだった。 無差別で非戦闘員を殺戮した米軍には当然怒りを覚えるが、貧弱な武装で米軍と戦い、この時期すでに戦争の勝敗が決していたのになおも国民を戦争に駆り立てていた軍部の無知蒙昧と無責任さには本当に腹が立つ。 現代の戦争はどんな大義名分があっても所詮最後は非戦闘員を巻き込んでの殺戮戦になる。軍の上層部と為政者は情報を独占し、自分たちに都合の良いように国民を操る。そうならないように、為政者は常に厳しく監視されなければならないはずだ。 とにかく戦争だけは絶対に起こしてはならない、と3月10日が来ると思う。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2006年03月06日 03時49分30秒
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