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昨日に引き続き近場をうろうろ。天気が良かったので、散歩がてら師岡熊野神社に行ってみた。この神社はサッカー日本代表のマスコット「ヤタガラス」が奉られている由緒正しい神社で、1300年もの歴史があるという。しかし今日はGWで特に行事があるわけでもなく、訪れる人はまばらで静かだった。
子供と一緒に散策していると、神社のそばに小さな墓碑が建っているので、何気なく覗いてみた。中心に建っているわりと大きめの物は、年代を確かめると明治時代の物。これくらいならわりとどこでも見かけるので、ああ、この辺りの旧家のものかと思って見ていた。 その大きな墓碑のまわりに、小さな高さ30センチほどの墓碑が六個建っているので、これらの年代を見て驚いた。宝暦・安永・天明・嘉永・・・全て江戸時代なのだ。優に200年以上も経っていることになる。 天明7年(1787年)生まれの人で、明治○年(判読できず)没というのがあったが、本当なのだろうか?明治維新が1868年だからあり得ないことではないが、もしそうだとすると当時としては相当な長生きだったことになる。明治維新の時点でも81歳という計算になるからだ。 そして一番驚いたのが、かなり古そうな墓碑にあった「元禄」の文字。(月日はもはやかすれて読みとれなかった) 「元禄」って元禄時代?あの元禄忠臣蔵の時代ですか?ひょっとして忠臣蔵をナマで見聞きした人なの!? 元禄時代は西暦だと1687年から1703年の間だから、もしそこに刻まれた年代が本物ならなんと300年前の石碑ということになる。(ちなみに関ヶ原が1600年)それがひっそりと、六畳くらいの小さな空間に他の石碑と一緒に置かれているのだ。 その墓碑が誰の物で、もともとずっとその場所にあったかどうかは分らないが、小学生の子供は大興奮。 「この墓石群の由来について神社の人に聞いてみよう!」とはりきっており、休み中にもう一度日本史年表を持って調査!?に行くことになった。もちろん、お花とお線香も忘れずに・・・ 注意して見れば、このような歴史遺物はまだまだいたる所にあるのかもしれないが、普段は全く見逃しがちだ。今日は子供のみならず、自分のためにも良い勉強になった一日だった。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2006年05月05日 00時22分33秒
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