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カテゴリ:歴史
「ブリキの太鼓」の原作者で、ノーベル文学賞作家のギュンター・グラスが、青年時代にナチスの武装親衛隊(SS)に所属していたことを告白し、批判の渦に巻き込まれている。
グラスは平和運動家、左派系の作家として有名で、特に代表作とされる「ブリキの太鼓」は映画化され、カンヌでグランプリを獲得している。私も見たが、鋭く悲しい反戦映画として強烈に記憶に残っている。 氏はこれまで、戦争中は国防軍に所属していたと語っていた。今回武装親衛隊への所属を明らかにしたことで「やっと過去を口にすることが出来た」と語っているという。当然ながら、相当な葛藤があったことは間違いない。 このグラス氏の告白は、ドイツ内外で大きな波紋と批判を呼び起こしている。ノーベル文学賞はもとより、生まれた街グダニスクの名誉市民賞をも返上すべきだと云われ始めた。 分らない方が多いかも知れないので詳述するが、「武装親衛隊」が嫌悪されるのは、「武装親衛隊(SS)」とはそもそもヒトラーの身辺警護のために創設された部隊であり、「ドイツ国防軍」とは全く異なる組織だったことによるものだ。 基本的には志願制であり、入隊に関しては最低三代まで家系を遡り純粋なドイツ人であることを要求し、身長178センチ以上、身体剛健で虫歯一本の存在も許されなかったという。入隊に際しては「ヒトラー個人への服従」を誓い、入隊後も国防軍にはない徹底的なナチ党の思想教育を施された、まさにナチ・エリートというべき存在だった。 この武装親衛隊は大きく二種類に大別化されていた。一方は国防軍と共に最前線で闘う最精鋭部隊としての任務を負い、もう片方が悪名高い強制収容所管理や占領地での他民族抑圧を担った部隊、通称「髑髏部隊」であった。戦後ニュルンベルク裁判等ではこの分別があいまいになり、武装親衛隊イコール残虐な殺人部隊、という認識が広まり、現在に至っている。 グラス氏は「武装親衛隊に徴兵された」と語っているが、基本的にSSは志願制であり、前述したとおり入隊基準も大変厳しかった。大戦末期とはいえ、国防軍にも所属していなかった16歳の少年を、親衛隊が徴兵したかどうかの証明は難しいのではないか。 戦後、SSに所属していた人間は就職活動上徹底的な差別を受けた。当然ながら、その所属を隠し通したまま亡くなった人々も数多くいただろう。グラス氏も本当の事が言えず、悩み苦しんだに違いない。しかし、彼は過去を明らかにすることを自ら望んだのだ。SSであったことが最初から明らかであれば、ノーベル文学賞はおろか作家として世に出ることも困難であったろう。しかし、ドイツと世界はその才能を高く評価したのだ。 SSの歴史は古い。1929年、ナチ党が政権を握る4年も前からすでにそれは存在していた。 33年にナチが政権を獲得した頃から本格的な膨張を始めるが、その頃の入隊者ならいざ知らず、1944年の敗戦直前、16歳での入隊を今となっては誰が攻めることが出来るというのか。 おそらくグラス氏は、真実が明らかになれば数々の栄誉を手離さなければならないことなどは覚悟の上だろう。それでも云わなければならない思いが全てに優先したのだから、ノーベル文学賞やグダニスク名誉市民賞は返上しても仕方がない。たとえ全ての賞を返上しても、作品は永遠に残る。 9月に発表されるという氏の自伝に、彼の真摯な告白が載っていればと願うばかりである。 それにしても、戦後61年が経過したが、日本同様ドイツにとっても、あの戦争はまだまだ終わってはいないのだ、という認識を新たにさせられたニュースであった。 ああ、悲しき叙事詩です ブリキの太鼓(期間限定) ◆20%OFF! お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2006年08月16日 03時30分54秒
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