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Voielactee

Voielactee

2006.03.21
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ようやくぐっすり眠れる時が来て、しっかりと言語化して考えられるように
なりました・笑。今日分かったのは体を壊すのは「さぼっているから」。

アトピーは特にそうなんだけれども、限界を超えたときに治るということを
実は経験しています。

23歳の時。駆け出し記者修行の頃。
新聞がまったく読めなかった(恥)。それででも、必死に乗り越えたくて
ジャーナリストになりたくて、毎日9時にジャーナリストが所属する
事務所に行って、新聞と六法全書、大宅文庫から抽出してきた週刊誌の
記事を悩みながら、本当に苦しみながら、夜の12時頃まで時に泣きながら
理解できるように読んでいました。

何かに向かうエネルギーっていうのはすごくて。そのときやった仕事は
許永中巨額詐欺事件の事件概要作り、年表作成、人物相関図の作成。
もちろん、多くの先輩ライターのサポートありながら、ひとつの仕事を
2ヶ月に渡って作成してやり遂げたことの喜びは大変で。
毎日が限界に向かう連続。その結果、知らず知らずのうちにアトピーが
なくなっていたのです。あのときの苦しみは忘れることができません。
なんせ普通のOLさんが突然週刊誌のライター修行をするのです。
ジャーナリストはやくざばりの怖さを持ち合わせている人だったので
いろんな恐怖を日々背負いながら、生理も1ヶ月とんだりしながら
なんとか辞めずに乗り越えていったのです。

右翼の塾長、警視庁の幹部、オウムのときに陣頭指揮を
とった元捜査一課長、そして某政治家。それらの人たちと酒を飲み交わす
機会もありました。極道に近い人もいましたが
それらの人と出会い分かったことは、命がけで生きているということ。
武道の道に長け、アレルギーになっている暇はない、といった感じで
やり遂げる気概と意志力、精神力を感じ、そのエネルギーをもらい、
そういった人たちと接していると自分もDNAに引き継がれているような
感覚もしました。

それからテレビに入り、テレビでは、何より多くの心あったり、
気持ちを共有する人たちと番組作り、企画づくりができて、取材して、
編集して、放送して・・・。この繰り返しは一回一回、違うもので
私はものをつくっているときが大好きで、大好きで、やり遂げた後は
爽快で、出会う人も変わり、一度辞めてしまいましたが、
私はこの仕事が大好きでいました。いえ、大好きです。番組作り、
ドキュメンタリーづくり。文章を書くことも。
でも、いまでもそれをあきらめてはいません。むしろいっぱいやっていきたい。

けれども現実はどうだろうと。局は予算が削られ、慣例に沿った
番組作りをして、体を張って命を張る割には給与は上にしぼりとられていく。情報番組も、すぐに消してしまいたいほど視点がずれていたり・・・
予算が削られている割にはどこにお金を使ってるんだ!と感じるほどに
ちょとヘンだよと聞く内情。人間関係も、人を傷つけるような性質を
持った人も多い現実(私は某のディレクターに濡れ衣をきせられたあげく、
靴を思い切り頭にぶつけられた)。

いったい、どこで仕事をしたらよいのか。
一体、誰と仕事をしていったらいいのか。
それらを実現していくことは果たしてできるのだろうか。
まったく具体的に浮かばない。何から手をつけて行っていいのか
分からない。でもこのまま辞めてはただの負け組みだ。
でも。ただ、さぼっているわけではないのに
どこに向かって行ったら分からない そんな悩みがありました。

だから力が有り余りながら、普通の組織にいて、普通以下の仕事を
することで体を壊してしまっていたのです。
何が日本に、この時代に必要なのかと。

でも最近、特に今日、見通しが見えてきました。
必要な仕事を、ともにやる人たちがいる。

現実は甘くはないことは分かっています。
格差社会・階層社会。そんな中で、どう生きてゆくのか。
正確に言えば、「暮らし」「生きる場」を作ってゆくのか。

私より3つ若い女の子で最近職場の環境があまりにひどく、彼女自身
婦人科系の臓器にその影響が及んでいるのですが、彼女が「一緒に
やっていきましょうよ」と声をかけてくださいました。
やりたいことは一致していることから、私は未来に希望を感じました。
会社をやりたいと思っていても、何をうっていいのか分からなかったからです。でも、よっぽど力をつけないと。
という現実的なビジョンも浮かんできます。
それらは、ともにやっていく上で見えてくるものかとも感じます。

やることが見えてきて、豊かに暮らす場をつくり、その波をつくってゆく
一員になろうと感じました。それは日本だけではなく、海外をわたると。

私は傍から見たら大変な状況に見えるかもしれない。
世間一般から見れば、資本経済社会の潮流に乗れてないという部分では
勝ち組では決してないからです。
けれどもいきる場を、豊かに生きる、健康で元気に生きる、
好きな人たちと幸せに生きてゆきたい。

好きな人で辛いひとたちをも 幸せに生きる術を伝えたい。
それが 未来に授かる子供ができる準備になるのかも知れない
と グリーンの光をもつ子供たちが生きられる舞台をつくることで
あるのかなと 

何を言いたかったのかというと、向かいどころがわかってきた
懸けどころ 賭けどころ が分かってきた ということなのです。

あと。
聖徳太子が気になっていたのですが、聖徳太子が遣り残したこと
やりたかったこと、そして先週靖国に行って多くの多くの戦争の犠牲となった戦死者の方々・・・。ひとりひとりの写真が遊就館にあるのです。
そのひとりひとりの瞳がどれほど胸に迫ってきたか。
その場で号泣しそうになりました。そして、米の属国となり、豊かな
精神・感性を失った日本を心から悲しいと感じました。
そういう人たちの死が無駄にならないためにも。

ということで
     限界に向かって 体治っていくんじゃ 幸せじゃん。

では!







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Last updated  2006.03.21 22:33:13
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