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カテゴリ:独断と偏見に満ちたアナリスト
私が勝手に怪しげに密かに敬愛している宮城大学の久恒啓一先生の「2010年問題」に激しく同意。
私・わかばやしくも昨年の9月21日に「80歳まで仕事をしてもらわないと困る理由」 として、無駄に書いていました(あらためて読むと誤植多いナァ・泣)。 久恒先生のエントリーは、さすがに幅広い人脈と幅広い見識からくる具体事例を書かれています。徳富蘇峰、P・ドラッカー、葛飾北斎、伊能忠敬、三浦敬三さん、日野原重明さんなどを取り上げられています。 そして最後には『人口減少社会の到来の前倒しのニュースとともに、2010年に向けての団塊の世代(50代後半)の退職がマスコミの話題になってきた。先達の偉業を知るとこの世代が老いを感じるのは間違っているように思える。』と締められています。 私の「80歳まで・・・」のエントリーも東京大学・坂村健教授の講演で「ハッ」とさせられました。 まだまだ、人生は長い(団塊の世代もまだまだいけますよん)。特に少子化問題を考えた時に、それを行政の責任にするのは我々は簡単だ。しかし、負担になってくるのはもちろん我々自身。どうにか元気いっぱいに生きてもらい(自分自身も)、人類全体で地球を守っていきたいものだ(ちょっちオオゲサ!?)。 それには私に何ができるのか、またしてもくどい論評なのですが、「ブログロック」を続けることのように思います。 ※私・わかばやしくが無駄に勝手に怪しげに唱える「ブログロック」論を知りたい稀有な人は、昨年11月7日~17日のグダクダ話にお付き合いいだだくと「100歳になった頃にようやく話の10パーセントだけ」がわかっていただけるのかもしれませんよぉ(笑)。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2006年01月10日 01時51分38秒
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