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東京今昔物語  (写真の世界 http://wakowphoto.world.coocan.jp/ より)

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2021.05.06
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カテゴリ:カテゴリ未分類
​増上寺は江戸時代に徳川家の菩提寺でしたから、境内には徳川家にかかわる貴重な文化的建造物が沢山あったのですが、明治時代の二度の大火と太平洋戦争の空襲で殆ど消失し、現在残っているのは、前回取り上げた三解脱門の他には黒門と有章院霊廟二天門と台徳院霊廟惣門の三点だけです。

日比谷通りの面してプリンスホテル駐車場を背にして建つのが、七代将軍家継の有章院霊廟の惣門であった二天門です。廟は東京空襲で焼失しましたが門は残りました。門の両脇には、広目天と多聞天が祀られているため二天門と言われ、徳川家霊廟建築の最後の遺構と言われています。
(写真1)

日比谷通りを南下して三解脱門前を過ぎると、増上寺方丈の表門であった黒門(くろもん)があります。三代将軍徳川家光が寄進したと言われているもので、風触のため古色を帯びていますが、江戸時代初期の建造物で、増上寺にある多数の建物の中でも古いものです。
(写真2)

黒門前を少し通り過ぎると、二代将軍秀忠の台徳院霊廟の惣門があり、惣門の左右には寄木造りの仁王像が安置されています。秀忠の霊廟は増上寺境内の中でも最大の規模で、惣門の奥の高台には江戸時代初期の桃山建築様式の建造物群が建てられていましたが、惣門を除いて廟の建築物は全て戦災で焼失しました。
(写真3)

戦前まで、徳川家代々将軍の霊廟は増上寺本堂を囲むように南・北・西に配置されていましたが、北廟、南廟共に被災しましたので、昭和33年から学術調査を経て、北廟一ヶ所に将軍宝塔墓所として纏められました。

その将軍宝塔墓所は増上寺の北西の隅、安国殿の裏側にあります。墓所入り口には六代家宣公霊廟の鋳抜の中門が据えられています。墓石の宝塔は殆どは石塔ですが、六代家宣公と静寛院和宮だけは青銅製です。
(写真4、5、6)

将軍宝塔墓所内には二代将軍秀忠の正室お江の墓、十四代家茂の正室和宮の墓など、大河ドラマでお馴染みの方々の眠る霊廟ですので参拝者は多いです。
(写真7、8)
(以上)

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写真1 有章院霊廟の惣門であった二天門


写真2 増上寺方丈の表門であった黒門


写真3 台徳院霊廟の惣門


写真4 六代家宣公霊廟の鋳抜の中門


写真5 墓所全貌


写真6 将軍家宣


写真7 将軍秀忠の正室お江


写真8 家茂の正室和宮





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Last updated  2021.05.06 19:42:31
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