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東京今昔物語  (写真の世界 http://wakowphoto.world.coocan.jp/ より)

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2021.06.05
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カテゴリ:カテゴリ未分類
​上野寛永寺は、芝増上寺と並ぶ徳川家の菩提寺として有名ですが、両者は寺院としての成立ちと性格が大分違います。

増上寺は、室町時代から浄土宗の寺院として存在しており、家康が江戸に居城を構えたときに菩提寺に選んだのですが、寛永寺は、天台宗の僧、天海が江戸に天台宗の拠点となる寺院を望んだので、幕府が上野の山を与えて建立した寺でした。当初は、徳川家の祈祷寺ではありましたが菩提寺ではありませんでした。

家康、秀忠、家光の徳川三代の将軍に仕えた天台宗の僧、天海は秀忠から現在の上野公園全域にわたる広大な土地を与えられ、上野の山を比叡山に見立てて、寛永二年(1625)に今の東京国立博物館の敷地に本坊を建立したのが始まりです。寛永四年(1627年)に、法華堂、常行堂、多宝塔、輪蔵、東照照宮を建立し、寛永八年(1631年)には清水観音堂、五重塔を建立し、最後に元禄禄十一年(1698年)五代将軍綱吉により根本中堂が建立されました。
(写真1、2、3、4)

山号は東の比叡山という意味で東叡山とし、寺名は創設年号をとって寛永寺としました。不忍池は琵琶湖に、弁天島は竹生島に見立てたと言われます。
(写真5)

比叡山は京都御所の鬼門に当たりますが、上野の山も江戸城の鬼門に当たりますので、三代将軍家光は寛永寺も徳川家の菩提寺にして江戸城の守り神にし、家光自らも将軍として初めて寛永寺に埋葬されました。

その後、徳川家の将軍達は交互に増上寺と寛永寺に埋葬され、両寺とも徳川家の菩提寺になりました。天台宗の寛永寺と浄土宗の増上寺は、宗派は違いますが、共に徳川家の菩提樹となり、幕府の保護を受けて大寺院となりました。
(以上)

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写真1 東京国立博物館


写真2 上野東照宮


写真3 清水観音堂


写真4 寛永寺五重塔


写真5 不忍池


写真6 ブログ「東京今昔物語」の本(幻冬舎)



ご 報 告

ここ十数年間、東京の街の写真を撮りながら観察した記録を写真ブログ「東京今昔物語」に書いて参りましたが、最近脚力が衰えてきて散策を続けるのが難しくなり、この辺で一区切り着けたいと思いました。幸い今日までにブログへは百万回を越える多くの訪問者がありましたので、東京の街の観察日記として一冊の本(上記写真6)にまとめてみました。

長期間に亘る観察文ですから、全体としての纏まりが悪く読みにくい内容となりましたが、その時々の写真も並べましたので写真だけでも笑覧下されば幸甚です。

なお、このブログ「東京今昔物語」は今後も月1回位の頻度で掲載を続けていきますので引き続きご高覧下されようお願い致します。
(以上)​





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Last updated  2021.06.05 16:16:53
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