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カテゴリ:東北地方太平洋沖地震
今日
『昨日の出来事(4/10)』 のブログ記事でも、原発反対と言った都知事候補を批判しましたが、書き足りない部分もありましたので、あえて追記のような形で書かせていただきます。 反原発の動きが全国各地で広がりを見せており、デモに参加している人達の感情は理解できるのですが、反原発デモには正直物凄く違和感を感じます。 異論も勿論あるでしょうし、自分の考えが絶対正しいとも思っていませんが、今回の原発事故、そして反原発デモに対しての、僕なりの意見を書かせていただきます。 何度もここで書いてきていることですが、今回の福島第一原発事故は明らかに人災であり、その人災を起こしたのは現政府と東電です。 初動段階で、廃炉決定できなかったことが、今日の放射能漏れまで起こす大災害に繋がっており、政府は最初からこの問題を東電に丸投げしました。 民間企業である東電は、1都8県の東電エリアへ電力供給している立場でもあり、福島第一原発を廃炉にすることになれば、これまでのような電力供給ができなくなります。 これが計画停電を実施することにも繋がりますが、こうした立場から、すぐに廃炉決定を東電が決断することができなかったという、東電側の考えというのは、多少理解はできるのです。 ただし、それでも国民の安全を考える立場の政府は、ここで政治的判断を迅速に下し、「福島第一原発を廃炉とすることを政治的判断で決定する」という決断を取ることを拒否して、災害問題を民間企業に丸投げし、更には、アメリカ側からの、原発にホウ酸を注入して、事故を最小限に留めるという提言すら無視し、これが現在の原発事故による大災害へと繋がりました。 このことからも、原発事故が政府と東電による人災であるというのは、多くの方に理解していただけると思います。 これで、デモが政府や東電に対しての抗議デモというなら、納得できますし、この抗議デモはドンドン行われるべきです。 ただ、今行われているのは、 抗議デモではなく、反原発デモです。 まず、ここで違和感を覚えます。 おそらく、参加している人達は、政府や東電に対しての抗議も兼ねてという意識なのかもしれませんが、政府や東電に対して、直接民主党本部前や東電本社前で行う抗議デモと反原発デモは、全く違います。 『ゴーマニズム宣言』の小林よしのりではありませんが、 ゴーマンかましてよかですか。 反原発デモというのであれば、「デモに参加して原発反対を言うのであれば、今後は原子力発電からの供給を止めるべく、自家発電して、電力会社からの電力供給は受けないのですね」とも言いたいですし、分かりやすく説明すると、例えばコップにしても、食器にしても、物質の殆どが全て電力供給を受けて生産されており、日本はその電力供給で原子力発電が国としてのエネルギー政策として、ベース電力にもなっている現実も否定するんですね、とも言いたくなってしまいます。 例えば、水にしてもそうですが、水道の蛇口を回せば、簡単に水が出てきますが、その水もポンプや浄化するために電気が使われています。 極論すぎるかもしれませんが、北海道の山奥に住んで、電気やガスや水道のライフラインを一切断ち切り、いわゆる物質に頼らないで生きていけるかといえば、私はできません。 こうしたことも突き詰めて考えていけば、私は原子力発電そのものに対しては自然の摂理に反するものであり、危険極まりないものでもありますから、使用しないで済むならば使用すべきでないのは当然で、今すぐ原発に代えられる代替エネルギーがあれば、すぐにでも切り替えるべきだと思いますし、これが今現在はできないと認識していますから、私には原発反対という言葉は、あまりにも重すぎて、とても言えません。 ただし、国のエネルギー政策として、原子力発電をベース電力にするために、当時の政府である自民党は、原発推進するため、データもいわば都合の良いように改竄し、原発建設地の人達(いや全国民といってもいいでしょう)を騙し、原発促進していた事実もありますから、この事実に対しては徹底批判すべきです。 ただ、国のエネルギー政策として、原子力発電をベース電力にせざるをえない現実というのもありました。 経済最優先の政策をし、高度成長を電力需要の伸びと共に、一気に日本を経済大国といわれるまでに発展させました。 この背景には原子力発電の存在があるんです。 ここは絶対に忘れてはなりません。 こうした過去と現実、そして原発事故、それらの背景も全て十分に考え、そして悩みぬいた上で、原発反対を叫ぶなら構いません。 以前に、ここで忌野清志郎についても書きましたが、反原発をメッセージとして、そのメッセージは本当に考えさせられるものでしたが、忌野清志郎は、その歌を舞台で歌うことで電気を使用することに対して、深く悩まれました。 そして、電気を使わず生ギターで舞台の上で、マイクを使わずに歌ったことがありました。 この深い苦悩の中で、歌った忌野清志郎のメッセージは、自分なりにしっかりと受け止めます。 ここまで考えた上での行動を伴うことをして、反原発を叫ぶのであれば、大いに行うべきであり、その意思は尊重します。 ただ、原子力発電による電力をこれまで受け入れてきて、それで原発反対というのは明らかに矛盾していますし、これから原発反対だから、電力会社からの電力供給を全てストップしますという人は、どれだけいるのだろう?と、どうして考えてしまうのです。 また、厳しい言い方をすれば、そこまでの覚悟と決意で、実行しなければ、単なる現実の問題から目を背けているだけの偽善者だとも思ってしまいます。 原発事故と原発是非の問題は別問題として考えなければならない問題です。 だから、参加している人達の感情は理解できるのですが、どうしても違和感を覚えるのです。 ですから、反原発デモではなく、抗議としてのデモを行いたいというなら、民主党本部や東電本社前で抗議のデモをして下さい。 もしくは、全国で行われても、抗議デモとして行って下さい。 以前にもここで書きましたが、その抗議デモを少数で行っている人達はいます。 そして、反原発デモではなく、政府と東電に対する人災への抗議のデモを行ってほしいとも思います。 勿論、原発反対という意見は、あって当然でもあるでしょうし、考えは人それぞれですから、批判はしません。 更に付け加えるならば、私は民主主義も否定しません。 ただ、今、全国各地で行われている反原発デモには、正直物凄く違和感を覚えます。。。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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