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September 24, 2009
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人生のかなり遅くにやっと成功をおさめる人のことを遅咲きの花に例えたりします。

カタクリの花は、発芽1年目は細い糸状の葉を、
2年目から7~8年程度までは卵状楕円形の一枚の葉だけで過ごし、
その後やっと二枚目の葉が出てから花をつける。
根をしっかりはるからデンプンがとれるくらい栄養たっぷり。


将棋の米長名人はほとんど50歳になってやっと悲願の名人を獲得
(翌年には24歳の天才羽生善治さんに奪われる)

米長さんの本に「菜の花は薹(とう)が立ってから花が咲く」とありました。


作曲家ブルックナーは31歳で音楽を習い始めオルガン演奏者になり、
57歳で初めて交響曲が世の中で認められる。

ベートーベンは20歳過ぎに念願の音楽家の弟子になるが、26歳頃難聴になり自殺を考える、
その後苦悩を乗り越え数々の名曲を生み出し、40台以降はますます耳が聞こえなくなるが、
50歳ごろに第9を発表。世界中で年末は平和を願い演奏される。ユネスコ世界記録遺産登録。

(天才モーツアルトは10代からたぐいまれな才能を発揮し続け35歳で没)


シュバイツアーは30歳まではオルガン奏者で、30歳になって医学を学び、
医者になったのは38歳、41歳で始めたアフリカでの医療活動でノーベル平和賞に。


クリスチャンディオールは20代で始めた画商は失敗30代でデザイナーになり、
42歳で初めてのコレクションを発表し大成功。以後10年台活躍するが52歳で没。

シャネルは20代で帽子屋を始め、30代でジャージのドレスが大成功、40代で地位を不動くにするが
戦争のため50代で閉店。ドイツ占領下のパリで15年間の空白の時間の後、
復帰最初のショーは71歳の時。以後87歳で亡くなる前日まで女王として君臨。


エッシャーが画家としてまともに食べられるようになったのは40代後半になってから。

松本清張は中学卒業後、印刷工として働き、印刷所の倒産や戦争での出兵等の後、
41歳で作品が入選し小説家に、44歳で芥川賞を受賞。


名建築家、村野藤吾は建築事務所で働いた後、38歳で設計事務所を開くが、
すぐに日中戦争、第2次世界大戦があり、実作の機会が少なく不遇の時代を過ごす。
20年後、58歳で再出発、以降、93歳で亡くなる年まで、
広島の世界平和記念聖堂(戦後建築初の重要文化財指定)など日本の歴史に残る建築物を手がけた。
「建築家は70歳からが本当の仕事ができる時である」とのこと。代表作は70歳以降のものがほとんど。


ウィーンの女性陶芸家ルーシー・リーは、35歳の時パリ博で銀賞を受賞したが、
翌年ナチスがオーストリアを占領、イギリスへ移住し、以後戦争が終わるまで10年間、
陶器のボタンをつくってなんとか生計を立て、戦後40代後半から本格的に作品を作る。
88歳まで作品を作り続け世界的な陶芸家に。
作風をつくっている独特の釉薬の使い方は、戦中にボタンづくりで生み出した技法。



初の女性国会議員の一人、加藤シヅエさんは貴族のお嬢様で17歳で軍人の家にお嫁に行って、
息子が2人でき、炭坑の女性たちの苦しみを知って避妊指導に力を注ぎますが、
夫婦生活は円満でなく、私財は借金に全部差し押さえられ、夫は出て行ってしまい、
息子の一人は結核で亡くなり、一人は戦争にとられてしまい、40半ばで独りぼっちに。

45歳でかねてから朋友だった加藤勘十と再婚、48歳で娘を出産、自身は国会議員に当選。
男女不平等な法律を改正、世界の女性の産児調整活動や動物環境保護に力を尽くし、
彼女の代わりに岸総理がノーベル平和賞を受けました。
104歳で亡くなるまで人々に希望を与えました。



家庭が貧しかったり、戦争で10年も20年も人生を意味なく奪われた世代の人たちが
それに負けないで全力で生き抜いた一生を見聞きすると、
自分も負けないように精一杯やろうって思いますねぐー






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最終更新日  September 25, 2009 01:44:28 AM
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