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2011/06/01
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カテゴリ:櫻井秀勲の目
果たして「地震学」は科学なのか? 
イタリアで地震学者7人が過失致死罪で起訴された。

一昨年4月、イタリア中部で起こったラクイラ地震は、309人の犠牲者を出したが、その前、半年間にわたって微震がつづいていた。住民は危険と言っていたのに、学者たちは「避難の必要はない」と、安全宣言していたというのだ。

犠牲者たちの家族はこれに怒って、学者たちを訴えたのだが、これは日本にとっても、非常に重要な裁判になるだろう。

日本では「想定外」の一言で、なんでも許されてしまう。そうであるなら、地震学は果たして科学なのだろうか? もし良心的な学者であるなら、現時点の地震学では「予知はできない」と、いうべきなのだ。

関東大震災の折、微震が長期間つづいたにもかかわらず、東京帝大地震学教室の主任教授、大森房吉は「大地震はない」と発表した。

実はこれは、弟子の今村明恒助教授が「大地震は来る!」と発表したことへの、当てこすりだったといわれる。自分より弟子が、華々しくマスコミで扱われたことへの嫉妬だった、とも伝えられている。

つまり、地震学が学問であり、科学であったとしても、こういう非科学的な論拠がないとはいえない。イタリアの裁判でも、こうした醜い学者同士の争いが出てくれば、有罪もありうるのではないか?

日本でも集団訴訟があったほうが、地震学、原子力の将来のためにいい、と私は思う。なにせこの国の原子力安全委員会は、大地震当日の3月11日、臨時会議を5分で終了。14日5分、17日5分と、なんにもしていないのだから。





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最終更新日  2011/06/01 11:00:47 AM
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