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************************************** 以下頂いたご回答です。 信濃宮の祭を『梨花の祭』と呼ぶようになったのは、平成元年からのことだそうです。 呼び名の由来はやはり、宗良親王の編纂された「梨花集」から取ったものです。 梨花の舞も、その時から始まったものではないかと思うのですが、これはもう一度確 かめてから連絡します。 御柱ですが、7年に1回といいますが、実際は寅年と申年に行われています。6年間 立っていた柱を7年目に新しくするので、7年に1回ということでしょうか。 こんなところでお答えになりましたか? *************************************** 以上でした。ありがとうございました。是非皆様お越しください。 なお、同じ大鹿村で昨日妻が大鹿村出身のご友人と大鹿村で二人がかりでないと持てない大きな舞茸を採ってきました。ご紹介します。何においてもすごい所です。夕食に天ぷらにして頂きました。美味しかったです。皆様にもお分けしたかったですが・・・・。 龍淵寺様だより 388号掲載しました。 このブログ製作元 ホームページ制作、パソコン教室、かざこしサイト長野県、飯田市で営業ブログ版へのリンク 飯田市 パソコン教室、ご老人、街、村活性化版へのリンク おいしいお米販売、食の安全、2種類の通販、ネットワークうるぎ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2006.06.23 11:20:19
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