カテゴリ:近隣散歩
またまた生駒山であります。 雲に隠れて見えぬ月は雲居の月と言うから、それに倣えば「雲居の山」である。と書いたものの、調べてみると「雲居」は雲の居るところ、大空と同義のようで、雲に隠れている月という意味ではなさそう。雲隠れの月と言うほかないようだが、これではそのまんまで何の面白味もない。 宇治間山 朝風さむし 旅にして 衣貸すべき 妹もあらなくに この歌の歌碑は明日香から芋峠を越えて吉野へと銀輪散歩をした際に見ているのであるが、この当時は携帯電話のカメラ機能で写真を撮っていたので極めて不鮮明な写真が残っているのみ(下掲)。 万葉集の長屋王のこの歌の一つ前には、吉野行幸の折の天皇御製の歌かと左注のある「み吉野の山のあらしの寒けくにはたや今夜もわがひとり寝む」がある。文武天皇の吉野行幸は、大宝元年(701年)2月と大宝2年(702年)7月の2回であるが、寒い季節であるから、大宝元年の折の歌であろう。長屋王もこれに従駕してこの歌を詠んだのであろう。 生駒山 雲は隠すか 今日もかも 妹に逢はずて 月ぞ経にける (偐家持) 君が辺り 見つつをらむと 言ふなるに 心あらずや 雲は隠せり (偐家持)
神奈備山の 帯にせる 明日香の川の 速き瀬に・・(万葉集巻13-3266)と来れば、甘橿丘または雷丘と飛鳥川であるが、生駒山の帯にせる川は恩智川である。 葦辺行く 鴨の姿は 無きなれど 寒き朝風 妹し思ほゆ (偐家持) 最近、よく行っている喫茶店「ぺりかんの家」の前には、この店のオーナーのものと思われるモーターバイクと乗用車がいつも駐車している。そのモーターバイクのミラーによく蜂がやって来る。日に反射して光るのを花と間違えてでもいるのか、それともそこが温かいからか、蜂がいつも数匹、繰り返しミラーに近付いては止まって行く。
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