カテゴリ:映画・演劇(とりわけミュージカル)評
「鉄腕アトム」 より 「鉄人28号」 と 「エイトマン」 が好きだ。
「スーパーマン」 より 「バットマン」 と 「スパイダーマン」 が好きだ。 闇が、いい。 スパイスのきいたコミックスワールド。 その 「鉄人28号」 が舞台にかかるというので、好奇心8割で観に行った。 ↑ 16枚の「めんこ」付きのハードカバーのプログラムが2千円もしたが、なかの「歴史年表」を見たら昭和31年の漫画連載開始のあと、 ≪昭和34年 ラジオドラマ 「鉄人28号」 がニッポン放送で放送される。≫ とあるではないか。 台本は残っているのだろうか。興味津々。 どこかの局で再演していただけないだろうか。 ≪昭和35年 実写テレビドラマ 「鉄人28号」 (全13話) が日本テレビ系で放送される。≫ これにもビックリだ。昭和38年のアニメ化の前に実写版があったなんて! 鉄腕アトムの実写版の一場面をなにかの特集番組で見て、あまりの芋っぽさにのけぞったことがあるが、鉄人28号の実写版ってどんな作りなのだろう……! * さてさて、その鉄人28号が、このたびはお芝居になるのです。 舞台のうえで鉄人が動き回るってことは、これはありえないですね。 それをやったら、デパートの屋上のウルトラマンショーになっちゃうからね。 鉄人の咆哮が響き渡り、鉄人の巨大な脚がワイヤで吊られて舞台の隅をかすめ、鉄人の影が舞台を覆う…… そんなふうにして、見えない鉄人が存在感120パーセントで活躍するお芝居かなと思った。 宣伝ビラに曰く ≪純粋無垢は、罪である。≫ いいねぇ~ 正太郎(しょうたろう)くんの操る操縦器が敵の手にわたって、鉄人が悪役に回るストーリーなのだね! …… と、想像は膨らんだが……。 主役の南 果歩さん (金田正太郎少年と、妖艶キャラの 「ケツネコロッケのお銀」 の2役) は力演だった。 早変わりの舞台裏はたいへんだったと思うけど、そこから生まれる独特の躍動感を南さんが舞台に引きずって出てきてくれた。 ぼくに近い世代のひとなのに、少年役を演じてもまったく不自然でない。 うつくしい人なのだ。 その正太郎のマネキン人形が、芝居の後半、舞台前面中央に置かれる。 ここから、あっと驚くトリックが飛び出すのも、見もの。 カーテンコールで、トリックの裏方さんが正太郎の格好をして登場するから見てください。 フジテレビの中野美奈子アナウンサーみたいに爽やかでかわいい人でした。 ぜひあの裏方さんを、いずれかの舞台で抜擢してあげたいですね。 鉄人は、「影」 として舞台を徘徊するのかと思いきや、膝まづいた姿勢で高さ6メートルの巨体が、芝居の最初から最後まで舞台中央の奥に鎮座している。 鉄人を取り巻く舞台が、あるときは平成20年の東京湾岸埋立地となり、あるときは昭和39年の敷島博士の研究所となり、そしてまた狐のお面をつけて東京五輪(いつわ)音頭を舞い踊る広場となる。 * これだけの仕掛けと役者さんを得た割には、台本が救いようもないほどお粗末だった。 敷島博士と鉄人28号に対峙(たいじ)する 「悪の集団」 というのが たかだか、野犬の群れへのノスタルジーにひたるいかにも趣味的な反体制(?)集団である。 東京五輪の開会式を飾る自衛隊のブルーインパルス機の燃料タンクに犬の小便を入れて出動の邪魔をするのが、栄えある決起だというから、泣ける。 空自機がオリンピックの五輪を空に描けなかったら国家の威信が損なわれて内閣が倒れる云々という絶叫調のセリフに至っては、ついてゆくのもバカらしく、心は白けきった。 「鉄人28号の存在」 という、とてもおいしいシチュエーションを得ながら、それを生かすことができなかった台本の罪は重い。 操縦器の争奪戦も、単なるドタバタ。 正太郎君が苦しむ善と悪の狭間(はざま)も、デパートの屋上のゴレンジャーショーの域を出ない。 繰り返すが、舞台美術も役者さんも歌も悪くない。演出も、まぁまぁ。 だが、台本のストーリーが、稚拙。 登場人物が、「機能」 としてしか存在せず、切っても血が出ないのだ。 鉄人のハリボテ制作に多少のカネはかかったろうが、この出来の1幕もの1時間40分の劇で1万1千円は高すぎた。 何でも褒めてしまうぼくだが、今回だけは 「4千円返せ」 と叫びたい。責任はすべて、脚本にあり。 台本の書きようによっては 「鉄人28号」 もみごとな芝居になるだろう。数年後の捲土重来を期待します。 きょう1月25日が東京・天王洲銀河劇場の千穐楽で、2月5~8日に大阪・梅田藝術劇場の上演を控えている。(寒ぅ~) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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