ペットボトルはどこへ行く? その2
8月27日の続きです。・問題点4―責任の所在はどこに? 一体誰が責任者なの?こんなにコストがかかるペットボトルの樹脂原料リサイクルが、さも環境にいいかのように信じられているのはなぜでしょうか。その点に関しては、行政、飲料メーカー、消費者のそれぞれに責任があります。すなわち、第1には、そしてそもそもの元凶であるのは、国がコスト構造を無視して「容器包装リサイクル法」を施行してしまったという点です。第2には、この法律が経済原理に合わない不合理なものであるにもかかわらず、メーカーにとっては「免罪符」となって、ペットボトルは大量生産してもかまわないという状況をつくり出してしまったということです。第3には、行政やメーカーの意図なのか、あるいは消費者の勝手な思い込みなのか、とにかく結果として、「ペットボトルはリサイクルされやすい素材だから、大量に買って大量に捨ててももったいなくない」というイメージが消費者に定着してしまったということです。リサイクル費用の大部分は、実は私たちの支払う税金で賄われているにもかかわらずです。「リサイクル」という美名の下に、数ある問題点は無視され、なぜかあわてて先へ先へと進んで行ってしまったといった感じです。行政、メーカー、消費者の三つ巴で協力して行なっていかなければならないこうした事業は、往々にして管理や責任の所在が曖昧になってしまうという弱点があるようです。その結果、ペットボトルの回収率に関しては、市町村単位で詳細なデータがあるのに、回収されたペットボトルがどのようにリサイクルされているのか、どのくらいリサイクルされているのかという肝心のデータに関しては、行政もメーカーも業界団体も明らかにしないし(そもそも知らないのでできない?)、ゴミに出して手元からなくなってしまえば、消費者も気に留めないという状況を作り出してしまうわけです。常に現状を省みるチェック機能がないという、なんともお粗末な事業が国を挙げて行なわれているということになります。しかし、こうした状況が長く続くと、次のような疑惑やさらなる問題を生んでしまいます。すなわち、何のために分別回収してリサイクルしているのかという目的意識が希薄になり、誰か一個人やどこかの団体の利害やメンツのためにだけリサイクル(と称した活動が)されているのではないかという疑惑(事実かもしれません)が生まれる。ペットボトル・リサイクルには現在どういった課題があり、みんなでどうやって解決していかなければいけないのかということがまったく見えなくなってしまうという悪循環に陥ってしまう。当然のことながら、リサイクルは一個人や一団体の利害やメンツのためにすることではありません。少なくとも日本というレベル、ひいては人類、地球というレベルで考えて行かなければならない大きくて普遍的な問題のはずです(偉そうなことをついいってしまいましたが)。とにかくリサイクル(という名の活動)をしているのだから、それでいいではないかでは事は済まされません。では、使用済みのペットボトルはどうすればいいのでしょうか?武田氏の結論は簡単です。ペットボトルはリサイクルせずに可燃ゴミと一緒に燃やせばいい。廃棄物の焼却による熱回収は、一般の可燃ゴミを焼却処分するときにも行なわれています。わざわざコストをかけてペットボトルを分別回収する必要はまったくないはずです。今までのことがすべて事実とすると、確かにそうすることがいちばん理屈にあっていることになります。一度使ったボトルを洗浄してまた使うユリース(再利用)は、衛生観念の強い日本人にはなじまないでしょう。また、ペットボトルはガラスビンと違ってキズがつきやすく、キズのすき間に異物が入りやすいものでもあります。となると、やはり「燃やして熱回収」という選択になりますが、ペットボトルを燃やすというとダイオキシンの発生が心配だということになります。しかし、現在全国で使われている高温の焼却炉ならペットボトルを燃やしても問題はありません。武田氏によるとダイオキシンも大丈夫だそうです。そして現実に、サーマル・リサイクルとしてすでに焼却されてもいるわけです。水分の多くて燃えにくい可燃ゴミに、わざわざ灯油をかけて焼却しているケースもあるほどですから、石油からできているペットボトルを燃料代わりに一緒に燃やしたほうが、コストの面からも資源保護の観点からもずっと効率的です。目の前にあるペットボトルを「もったいないからといって安易にリサイクルすることは、結果的に無駄なエネルギーとお金を費やして、かえってもったいないことになる。本当に環境のことを考えるなら、経済原理にかなった処理方法を選ぶべきです。個人や一家庭でできるペットボトルの二次利用には限界があります(容器や小物入れ、鉢などとして利用する)。工夫次第ではさまざまな遊びのツールにもなるようですが(ペットボトルロケット、風車など)、最後はやはりゴミになります。そうしたことを考えると、一消費者としてまずすべきことは、ペットボトル容器はできるだけ買わないということになります。健康を思って、清涼飲料水の類を飲まなくなると、かなりペットボトルは減らせますが、清涼飲料水をミネラルウォーターに置き換えてしまうと、再びペットボトルの山になってしまいます。対処が必要です。ペットボトルに限らず、できるだけゴミを出さない工夫をすることが望ましいライフスタイルなわけですが、しかしそうはいっても、つい買ってしまったペットボトルはどうすべきか。分別回収せずに一般の可燃ゴミと一緒にゴミに出したほうがいい、いきなりそういわれても少しとまどってしまうというのが正直なところです。(それなりの年月の間分別していた習慣というものは、やはり侮れないものがあったりします。)(この行為になぜか、ほんの少しですが罪悪感を感じるのです。)しかし、そんな小心者の気持ちを打ち砕くかのように、武田氏はいいきります。日本ほど言論が自由で、報道があふれているのに、こんなことがあるのですから不思議なことです。でも、回収されたペットボトルの中には処分の途中でわざと「泥」をかけて「汚泥」として処理することもあるのです。国民に「リサイクルは大切だ」と言い、主婦はペットボトルを綺麗に洗って分別して出しているのに、それに「泥をかけて汚泥として処理する」というのですから、人の心を踏みにじるようなことが平気で行われる日本になったのだなとなにか少し哀しい感じがしている昨今です。汚れているペットボトルはリサイクルできないのだそうです。ですから「汚泥として処理する」というのは、焼却処分にまわすということです。これが事実なら、馬鹿正直に分別回収している一般消費者は、まるで茶番劇の登場人物のようです。昔見た『未来世紀ブラジル』という映画に確か、もはや誰にもその存在理由のわからない「意味のない仕事」を、そうとは知らず朝から晩まで一生懸命している主人公が出てきたはずですが、武田氏の記述を読んで、突然そんな映像が浮かんできました。世の中いろんなところに納得のいかないことがあったりするものですが、武田氏がいうこれらのことがおおよそのところで本当なら、ペットボトルのリサイクル問題もそういう納得のいかないもののひとつということになります。こうしたことは早いうちに、白黒ハッキリさせなければいけない問題なはずです。 ----------------------------------------------------------------------こんな腑に落ちないミステリーめいた話では後味が悪いので、心に不思議な感動が残る奇談(え~っ!ウソ~!!)を描いた、大好きな諸星大二郎の作品の紹介をして終わりにします。久しぶりに新しい作品を読みましたが、やはり諸星大二郎はいいです!画風といいストーリーといい、今回も独特の世界にドップリはまらさせてもらいました。 私家版魚類図譜 魔障ケ岳 人魚姫は感動ものです! これ奇談なり、 女の子や子どもの出てくる 諸星ワールド全開です!! 話が以外にもおもしろい!