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阪本ニュース

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2008.06.25
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カテゴリ:治療

生きる意味を持って・・・

永田勝太郎先生講演

疲れから入院まで

 足腰が変な感じになりました。大学病院に行って色々な検査をしました。そこでは筋肉を覆っている筋膜の炎症であると診断されましたのです。神経から刺激が行っても筋肉に伝わらず筋肉が収縮出来なくなっていると言われました。疲れの酷いものだと言う事でした。炎症ですからステロイドを使うことがいいだろうと言うことでした。実は見てもらうのが同僚でしたから、うるさい事を言うと嫌がられるので、今回はすべて任せてみる決意で入院をしたのです。

ステロイドミオパチーになった私

 ステロイドの効果は素晴らしく三日で完治したのです。しかしステロイドを切る頃になって不思議なことが起こり始めました。まず寝返りが出来なくなりました。箸が持てなくなりました。字が書けなくなって来ました。そして全く起き上げられなくなったのです。たった一週間で手足が機能しなくなってしまったのです。突然ベッドの上で寝たきりになったのです。後でわかったのですが、ステロイドミオパチーになったのです。夜になると怖くて眠れないのです。よく癌の末期の方や神経症状の方が、夜眠れないと言っていたのを思い出しました。明け方になって病棟がザワザワしだすと眠くなるのです。皆がいると眠れるけれど、居なくなると怖くて眠れないことが、良くわかりました。自分がどうなっていくのか分からないのが怖いのです。

病院での現代医療

 そのうち主治医が言いました。「永田先生は一生歩けません。立てません。車椅子も無理です」私はその時思いました。大学病院の医療とはこんなものだったのかと......自分のところに来た患者さん達が大きな医療不信を持ってきていたのが良くわかりました。そして、ここに居たら殺されるな。もう出て行くしかないと感じたのです。

リハビリと精神

 たまたま熱海に知り合いのリハビリ専門の先生が居たので行ったのです。朝昼晩リハビリをして松葉杖で歩けるほどに回復し、四月からは大学に復帰する予定でおります。この一年で病氣・障害者を経験したのです。なぜ生き返ることが出来たのか? 実は私は自分處に来る患者さんで絶望から立ち直った方々の事を思い出しました。ある患者さんの例ですが、有名な東京の大学病院で筋ジストロフィの診断を受けた一級建築士の方です。現在設計はコンピュータを使い行いますが、キーボードが押せなくなっていたのです。病院では診断までに四か月かかり、出た結果は「貴方の余命は3~5年です。設計の仕事は出来ません。治療法方はなく、毎月一回ずつ来院して、イヨイヨ危なくなったら最後をみとりましょう」と言われたのです。

 彼は愕然として、色々神経難病を治した論文を探し、私のかいたものを見つけ訪ねて来られたのです。来た時はご夫婦とも絶望のどん底にいました。私は彼に「医者が駄目と言っても、貴方は諦めることは出来ないはずです」と言い奇跡的に回復した患者さんのたくさんの例をお話しました。彼は色々な事をやり、遂にはその病氣を乗り越えてしまいました。今彼は一級建築士に復帰してバリバリ仕事をやっています。勿論・色々な藥の助け、努力と精神が結びついて乗り越えられることが出来るのです。今までお話してきたことが、自分自身が出来なかったら、自分の言ってきたことが嘘になるのです。

 

 私が立ち直ることが出来たのは、補劑を使ったこと。補劑とは落ちた体力を持ち上げるようなものです。食欲をつける。夜良く眠らせる。排泄を爽やかにする。痛みをとる。社会生活を営めるようにする。毎日生きがいを持って生きられるようにする。というものを支えるものです。私も病気になる前は、確かに眠れませんでした。食欲も全然ありませんでした。朝ごはんは食べない。昼は三時頃に大学の食堂で天ぷらそば一杯だけです。夜もろくろく食べない。食べられないとだめなのです。病氣になって補劑をやめてはならないと思いました。十全大補湯、人參色々のも増した。鍼灸も効果がありました。一生懸命リハビリをしていましたが、大変少しずつしか変化しませんので、私は一時期、便も垂れ流しの状態でした。看護婦さんにオムツを替えてもらう、汚れたオチンチンを拭いてもらう。嫌で仕方ありませんでした。人間としても屈辱です。季節は流れますが身体は変わらない。

フランクル(VictorE.Frankle)先生の言葉

このときにフランクル先生の言葉を思い出しました。フランクルは、一生涯忘れられない体験を、ウィーンの病院に勤務していた時に味わいました。それは、第二次大戦のオーストリア占領時、ナチスにより開始された「夜と霧」作戦に彼が巻き込まれたことから始まります。「夜と霧」作戦とは、1941年12月6日に出されたヒトラーの特別命令で、占領軍に対する反逆行為を企てた非ドイツ国民を容疑者として、夜間秘密のうちに逮捕して強制収容所へ送り、その安否や所在を家族にも知らせないという作戦の名称です。

 この作戦は、ユダヤ人には特別な意味を持っていました。それは、ユダヤ人は無差別に逮捕し、強制収容所に送り、ガス室などによって、きわめて能率的・効果的に民族殲滅(ジェノサイド)を図るという、ナチスの行為の中でも最も非人道的な恐ろしい作戦だったのです。フランクル自身も妻や二人の子供ともに、今まで持っていた財産全てを没収され、強制収容所に送られました。後で分かったことですが、彼の父親も母親も、奥さんも子供たちも全員ガス室で殺されました。  

収容所の中は、多くの人々が生き残ることだけに意識を集中し、そのためには暴力・盗み・仲間を売るなどという良心のかけらもないような行為・エゴむき出しの行為が日常茶飯事で行われていました。しかし少数の人々は、そうした極限状態にあっても、寒さの中で弱っている、他人に対して優しい言葉をかけ、当人にとって生きるためのかけがえのないパンの一切を与えたのでした。方や獣の様なユダヤ人と神様のようなユダヤ人が何故でるのだろう。先生はその違いを観察したのです。

神様のような行動が出来た人は、どんなささやかなことであっても生きる意味を持っていた人だとことです。生きることの意味と言うのは、生きることの責任としっかりと結びついていました。そしてそのような方は、目を閉じれば花園に遊ぶ姿が浮かぶような魂の自由性を持っていました。フランクル先生自身が歃でした。極寒の中の労働、何時ガス室に送られるかもしれない不安の中。彼は目を閉じると、両親・妻・子供たちと一緒に花園に遊ぶ自分の姿が目に浮かんだと言います。

彼らは美しいものを美しいと思うことが出来た。ある寒い日の夕方でした氷点下二十度の中、彼らは穴掘りをさせられていました。たまたま看守がいなかったとき、一人の痩人が言いました。「おい、真っ赤な夕日が沈むぜ」荒涼としたポーランドの大地に大きな夕日が今沈まんとしています。その光景を痩人たちはジッと手を休めて見やったと言うことです。明日ガス室に送られるかもしれない人たちでさえ、美しいものを美しいと思うことが出来る。そういう人たちは生きる意味を持っていた人たちだけだと言うことです。このことは、どんなに過酷な運命がその人に与えられても、人間はその運命に対してどのような態度をとるかという意志の自由(この場面では最後の自由ということができます)が与えられ、人間自身が高貴な存在であることを自らの体験を通して証明したのでした。


先生との出会い

このフランクル先生は私の師匠の一人ですが、私が絶望したときにウィーンに行き電話をかけました。そしたらフランクル先生はアジアの端っこから来た壱医師に対して、自分の家に招いてくれました。私は彼のところに行き、それから弟子にして頂き、何十回も彼の家に行き学問的なデスカッションを重ねて参りました。フランクル先生は今から三年ほど前に92歳でなくなられましたが、先生はウィーンに帰りエリーさんという方と再婚をされました。先生が無くなった時お葬式に参列させていただきましたが、エリーさんは泣いて泣きぬれていました。

その後エリーと手紙のやり取りをしていましたが、私が病氣になり出せずにいました。手紙がようやく書けるようになり、エリーにお詫びと報告をしました。早速エリーから返事があり、このように書かれていたのです。

「フランクルが言っていた言葉を貴方に送ります。人間誰でもアウシュビッツはある。けれども貴方が人生に絶望しても、人生は貴方に絶望しない。貴方を待っている何か、誰かがある限り、貴方は生き延びることが出来る、貴方はそれを通して自己実現できる」私はそれを読んで涙があふれて止まりませんでした。自分はまだ死んでいない。手や足は動かない。ウンチは垂れ流しだけれど、まだ死んでいない。この俺がやるべきことは何か? 出来ることは何か? 

その当時フォークは持てていましたので、もう一度コンピュータにもむかことにしたのです。原稿用紙一枚うつのに二時間も三時間もかかりながら、自分の本を英訳しアメリカで出すことにしました。

自分自身の生きる力をどう賦活するか。そのことは自分自身の生きる意味に目覚めるということです。

 

病院ではなんともないと言われる、だけど藥だけはこんなにくれる。今日本の医療に対しては医療不信ばかりです。

現代医学の問題点

現代医学は瀉法の歴史です。外科的に切り取るとか。抗生物質で細菌を叩き潰すとか。抗がん剤でがん細胞を殺すとか。だから病院自体の雰囲気はサディスティックなのです。我々が生きていくのには、瀉法と補法のバランスが大切です。

器質的病態・医師が得意な分野です。ただし医師の藥には必ず副作用があります。藥の力と患者さんの力のバランスが崩れたときに副作用が出るのです。数年前、帯状疱疹の患者さんに抗がん剤を使い、多くの方が亡くなった事件がありました。帯状疱疹が出来る方は弱っているのに、抗がん剤を使えば副作用が出て当たり前です。弱っている方にさらに弱るような瀉剤を使うなんて哲学がなさ過ぎるのです。

身体・機能的な病態(未病の状態 お血・水滞) 半健康、半病人からの回復です。食欲・不眠。医師は不眠に対して睡眠薬を出すだけです。それで睡眠薬中毒者をたくさん作り出している。副作用である心臓疾患を作り出しているのです。






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最終更新日  2008.06.25 07:45:22
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