|
カテゴリ:できのよくない思い込みレポート
帝記・旧辞は大化元年645年6月13日に焼失しました。 馬子の子である蝦夷(-645年)と蝦夷の子・入鹿(-645年)の王権壟断を憎む中大兄皇子なかのおおえのみこや中臣鎌子なかとみのかまこの謀略により蘇我氏の主流が滅亡したときにこの二つの書物もまた消滅してしまったわけです。 大化の改新・・・です。 もちろん蘇我氏が王権を掌握して、その権勢下で書かれた「天皇記」と「国記」が蘇我王権に都合良く書かれていただろうことは想像に難くありません。史実もまたかなり改竄されていたに違いありません。 であったにしても・・です。 「天皇記」を焼いたのが蘇我王権の事績を後世に伝えたくない中大兄一派のしわざであったろうことは容易に考えられます。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2008年03月07日 00時06分04秒
[できのよくない思い込みレポート] カテゴリの最新記事
|