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カテゴリ:できのよくない思い込みレポート
皇極紀は宮廷・大極殿で入鹿が斬殺(6月22日)され、翌13日に父蝦夷が自邸に放火自害したことによる天皇記・国記の消滅・・・そう述べています。 焼亡の責任を蝦夷に負わせているわけです。 また 僅かに国記のみ全焼を免れたのは中大兄一派に加担する船史恵尺ふねのえびとえさかが猛火をかいくぐり運び出したからだ・・・とも書き記しています。 しかしこれでは話が少し違います。 せっかく危険を冒してまで典籍を搬出したのであれば大切な天皇記を焼いてしまったというのでは、敢えて記録に留めこれを顕彰するには値しないのではないか・・・ そう思います。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2008年03月08日 00時46分35秒
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