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カテゴリ:できのよくない思い込みレポート
ある世代から上の世代には大化の改新と名前で有名なこの政変は 現在の大学入試では乙巳の変いっしのへんと呼ぶのが一般的です。 年代チェック・・です。 実は微妙に異なるのですが・・・・ここでは今さほど重要なことではありません。 この政変により皇極女帝退位。軽皇子かるのみこが即位して孝徳天皇に 中大兄は皇太子、鎌子は内大臣となりました。 この乙巳の変は臭い物(・・・・汚らわしいむさい鬼の意味です。ココでは蘇我蝦夷・入鹿の父子が鬼に擬されました。)には蓋(・・・・葬り去る、封じ込めるの意味です)をしたあとの言い種ですから額面通りに受け取ると歴史の真実は見えなくなってしまいます。 大化の改新と称された645年6月19日のバラ色に惑わされてはなりません。それよりも6日前に天皇記・国記が作為的に焼亡していることは心に置いておく必要があります。 天武天皇が律令の作成と、 本来ならば蘇我蝦夷・入鹿を滅した天智天皇によって行われるべき天皇記・国記の再編、 つまり古事記・日本書紀の編纂に着手したのは681年のことです。 乙巳の変から36年の年月が流れていました。 しかし。 天武天皇はこれらの完成を見ることはありませんでした。 草薙剣くさなぎのつるぎの祟りという恐ろしげな託宣を受け 686年9月9日に亡くなっています。・・・・霊や怨霊が、荒ぶる神々が存在していた時代です。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2008年03月09日 01時46分55秒
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