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ゆきよきの言語学・夏目漱石・日本史

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2013年12月02日
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カテゴリ:学び方・振り返り
(5)2013年11月の学びを概括する

 本稿は、2013年11月の学びを振り返り、学んだ内容を深化させるとともに、学んでは概括することの繰り返しの過程を通して、論理能力の向上を図るために執筆しているものである。

 ここで11月の学びを簡単に振り返っておきたい。

 まず、小論「文法家列伝:古代ローマ・中世編」の執筆における学びを振り返った。言語学史全体の流れでは特に重要性がなかった時代であったが、個別にその業績を分析してみると、間投詞の認定、主体的表現の直観的把握、認識や対象との関わりにおける言語の普遍性の把握など、大きく評価し得る成果があったことが分かってきたのであった。一方で、こうした言語学史上の成果と社会や精神一般とのつながりについては十分に考察することはできなかったという反省も述べた。

 次に、西洋哲学を概観する学びを振り返った。具体的には、三平えり子『聴くだけ倫理』及び岩崎武雄『西洋哲学史』に学んだのであった。前者の学びでは、耳からも情報を得ることで今までよりも早く像を描いていけることを期待しての学びであったし、後者の学びでは、宗教と理性との分離の過程として捉えた西洋哲学史の大きな流れがカントにおいて一応の完成をみるという著者の把握の概要は理解できたのであった。どちらもまだまだ不十分であるので、来年に向けて繰り返し学んでいきたいとした。

 最後に、人間とは何かを分かるための学びを振り返った。山崎豊子『華麗なる一族(中)』の物語を概観し、そこに繰り広げられる個人や小社会の協力や対立の関係を見た。そしてこれらを「矛盾の複合体」たる社会状況が展開する様として把握し、この特殊な物語に社会一般に通じるものを見出そうと努力していったのであった。

 11月にはほかにも、「現代言語道具説批判」を14回分、自身のブログに執筆した。これは中日新聞に連載中の「現代日本誤百科」を批判するもので、この学びの過程を通じて、著者であるソシュール研究者の町田健氏の認識構造、つまり形而上学的・言語道具説的・一般的意味説的認識を具体的に把握することができた。言語規範を言語と捉えることで、これをどう組み合わせるか、使えるか、置き換えることができるか、といった発想が常態化し、言語の直接の基盤である対象の認識を全く度外視した珍説を臆面もなく公にしている氏の説は、批判対象としていい学びになっている。

 では、こうした11月の学びを踏まえて、12月はどのような学びを行っていけばよいのだろうか。

 1つ目は、12月の合宿に向けて、そのレジュメを作成することである。前回の9月の合宿では、自分の思い描いていた発表が全くできず、非常に悔しい思いをしたため、今回はいろいろな要素を詰め込むことなく、今年1年間の成果として、言語過程説の基本的な理解を発表したいと思う。そのためのレジュメを、今までの学びを振り返りながら作成したい。

 2つ目は、来年の例会に向けて、引き続き西洋哲学の概観を行うことである。三平えり子『聴くだけ倫理』と岩崎武雄『西洋哲学史』をもう一度学び直していきたい。合わせて、歴史に関する過去の小論を学び返して、世界歴史の像もアバウトにでも構築しておきたい。

 3つ目は、引き続き人間とは何かを分かるための学びを実践することである。具体的には山崎豊子『華麗なる一族(下)』を読んで、大介と鉄平を軸に展開する小社会の矛盾、対立、協力関係等を、社会のどこにでもある一般的なあり方として学んでいきたい





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最終更新日  2013年12月02日 16時54分53秒
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ガラスの玉は、本物の真珠をきどるとき、はじめてニセモノとなる。

政治の分野であろうと学問の分野であろうと、革命的な仕事にたずさわる人たちは道のないところを進んでいく。時にはほこりだらけや泥だらけの野原を横切り、あるいは沼地や密林をとおりぬけていく。あやまった方向へ行きかけて仲間に注意されることもあれば、つまずいて倒れたために傷をこしらえることもあろう。これらは大なり小なり、誰もがさけられないことである。真の革命家はそれをすこしも恐れなかった。われわれも恐れてはならない。ほこりだらけになったり、靴をよごしたり、傷を受けたりすることをいやがる者は、道に志すのをやめるがよい。

孤独を恐れ孤独を拒否してはならない。名誉ある孤独、誇るべき孤独のなかでたたかうとき、そこに訪れてくる味方との間にこそ、もっとも深くもっともかたいむすびつきと協力が生まれるであろう。また、一時の孤独をもおそれず、孤独の苦しみに耐える力を与えてくれるものは、自分のとらえたものが深い真実でありこの真実が万人のために奉仕するという確信であり、さらにこの真実を受けとって自分の正しさを理解し自分の味方になってくれる人間がかならずあらわれるにちがいないという確信である。

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