町田氏は「ずっと」という表現について、「ある事柄が長く継続することを表す」が、「思い出す」は「瞬間的に起こる事柄だから、長く継続することはない」と述べる。そして、「継続させようとするなら、何度も繰り返し思い出さなければならないが、それは繰り返し忘れることと同じだから、現実にはありえない」とし、「「思い出してからはずっと忘れなかった」のように表現するしかない」と結論する。
そもそもこの表現がどういうことを言おうとしているのか、この部分だけ切り取っても分からない。もし町田氏のいうような思い出すことを継続することだとしても、次々に新しい思い出を喚起し続けているということなら、「現実にはありえない」ことは全くない。忘れなければ思い出せないと考えるのは、思い出す中身が一つだと勝手に決めているからである。
形而上学的に考えてしまって、「継続」と「瞬間的」が対立するから、どちらかしか立たないという発想をしてしまうのである。そうではなくて、非敵対的矛盾の実現形態を考えなければならない。意味の分からない言い換えをしている暇があったら、少しは対象の構造を把握する努力をすべきだ。
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最終更新日
2014年03月03日 19時23分14秒
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