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ゆきよきの言語学・夏目漱石・日本史

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2014年03月04日
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カテゴリ:言語学
 町田氏は、「綱紀粛正」や「意気投合」を例にとり、「綱紀を粛正する」や「意気が投合する」などとは言えるが、「疲労回復」は「疲労が回復する」ことでも「疲労を回復させる」ことでもなく、「疲労から回復させる」ことだから、「これを四字の漢語で表すことは普通できない」と主張する。そして、「「元気回復」なら「元気を回復する」ことだから問題ない」と結論する。

 「疲労から回復させる」ことを「疲労回復」と言えないのはなぜか。「疲労回復」と言えば、その表現者がどのような認識を表現しているのかは明らかで、こういう場合に省略が可能なのであるから、「疲労から回復させる」ことを「疲労回復」と言えることになる。

 そもそも「回復」とは、「もとの状態に戻ること」(コトバンク)という辞書的意義を持っているから、「ダイヤの乱れが回復する」(同上)という表現も成立する。表現の過程的構造に分けいれば、「ダイヤの乱れで失った異常な運行の状態がもとの状態に戻ること」を対象として把握し、それを表現したものとして、「ダイヤの乱れが回復する」という言語が創出されたのである。同様に、「疲労で失った元気な状態がもとの状態にもどること」を対象として把握し、これを表現したものとして、「疲労が回復する」=「疲労回復」という表現が創出されうるのである。「もとの状態」=「「回復する」の主語」などという機能主義的・形而上学的な考え方が言語規範であるという把握は、言語道具説の量質転化の結果に他ならない。





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最終更新日  2014年03月04日 23時00分34秒
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ガラスの玉は、本物の真珠をきどるとき、はじめてニセモノとなる。

政治の分野であろうと学問の分野であろうと、革命的な仕事にたずさわる人たちは道のないところを進んでいく。時にはほこりだらけや泥だらけの野原を横切り、あるいは沼地や密林をとおりぬけていく。あやまった方向へ行きかけて仲間に注意されることもあれば、つまずいて倒れたために傷をこしらえることもあろう。これらは大なり小なり、誰もがさけられないことである。真の革命家はそれをすこしも恐れなかった。われわれも恐れてはならない。ほこりだらけになったり、靴をよごしたり、傷を受けたりすることをいやがる者は、道に志すのをやめるがよい。

孤独を恐れ孤独を拒否してはならない。名誉ある孤独、誇るべき孤独のなかでたたかうとき、そこに訪れてくる味方との間にこそ、もっとも深くもっともかたいむすびつきと協力が生まれるであろう。また、一時の孤独をもおそれず、孤独の苦しみに耐える力を与えてくれるものは、自分のとらえたものが深い真実でありこの真実が万人のために奉仕するという確信であり、さらにこの真実を受けとって自分の正しさを理解し自分の味方になってくれる人間がかならずあらわれるにちがいないという確信である。

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