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ゆきよきの言語学・夏目漱石・日本史

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2014年03月19日
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カテゴリ:言語学
 町田氏はこの表現は「すでに定着」していて、「生命を失う危険という意味で使われる」としながらも、「「転落(倒産)の危険」は転落したり倒産したりする危険があるという意味であり、転落や倒産は人間に危険をもたらす事柄だ」が、「危険ではない事柄について「~の危険」と言うことがない」から、「「生命の危険」も適切な言い方ではな」く、「生命への危険」と言うべきだと結論する。

 表現が「すでに定着」しているということは、そうした言語規範、すなわち、ある特定の認識を表現する際には特定の音声や文字を用いなければならない、という社会的な約束が成立しているということである。それにもかかわらず、「適切な言い方ではない」というのは、単なる町田氏の誤認であって、言語とはこのように、言語規範の遅々とした変化に応じる形で、徐々に変化していくものであることをしっかり理解するべきだ。

 また、結論として言われている「生命への危険」であれば、そもそもの表現である「生命の危険」と若干意味合いが異なってくる。この「生命の危険」と言う表現は、「生命が脅かされる危険」という内容をもつ表現であって、「生命への危険」であれば、「生命へ影響がある危険」という内容になる。生命へ至る実体を想定させるものであって、単に「生命の危険」と言う場合よりも限定的に使われる。

 「生命の危険があるため、緊急オペを行う」と言う表現と、「緊急オペをしなければ、生命への危険がある」という表現を比べてほしい。前者は単に生存が危ういという状況を説明しているのに対して、後者は「緊急オペ」によって取り除かれる何らかの「実体」が想定された表現となっている。

 そもそも日本語の「の」と言う表現は非常に幅が広く用いられる表現であって、形式に引きずられて、その内容を正確に把握する努力を怠っていると、町田氏のようなおかしな誤謬を吹聴することにもなってしまうのであるから、言語表現の過程的構造の解明がここでも重要だと分からなければならない。





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最終更新日  2014年03月19日 11時49分37秒
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ガラスの玉は、本物の真珠をきどるとき、はじめてニセモノとなる。

政治の分野であろうと学問の分野であろうと、革命的な仕事にたずさわる人たちは道のないところを進んでいく。時にはほこりだらけや泥だらけの野原を横切り、あるいは沼地や密林をとおりぬけていく。あやまった方向へ行きかけて仲間に注意されることもあれば、つまずいて倒れたために傷をこしらえることもあろう。これらは大なり小なり、誰もがさけられないことである。真の革命家はそれをすこしも恐れなかった。われわれも恐れてはならない。ほこりだらけになったり、靴をよごしたり、傷を受けたりすることをいやがる者は、道に志すのをやめるがよい。

孤独を恐れ孤独を拒否してはならない。名誉ある孤独、誇るべき孤独のなかでたたかうとき、そこに訪れてくる味方との間にこそ、もっとも深くもっともかたいむすびつきと協力が生まれるであろう。また、一時の孤独をもおそれず、孤独の苦しみに耐える力を与えてくれるものは、自分のとらえたものが深い真実でありこの真実が万人のために奉仕するという確信であり、さらにこの真実を受けとって自分の正しさを理解し自分の味方になってくれる人間がかならずあらわれるにちがいないという確信である。

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