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ゆきよきの言語学・夏目漱石・日本史

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2014年03月24日
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カテゴリ:言語学
 町田氏は、「「最愛」と「愛犬」では「愛」が重なっているから同語反復だ」とし、また、「「最愛だ」という形容動詞はなく、」「「最愛な妻」も不適切な表現だし、「最愛な」を古風に置き換えた「最愛なる」も当然不適切になる」と主張し、「最も愛する犬」とすべきだと結論する。

 結論としては「最愛なる愛犬」というのは不適切な感じを受ける表現であることは間違いない。しかしそれは、「同語反復」だからとか、「「最愛だ」という形容動詞がな」いからだとか、そういう理由ではない。言語とは認識の表現であるから、「同語反復」せざるを得ない、あるいはしなければならない認識のあり方というものも当然存在する。今回の場合も、こじつけで考えれば、「愛犬」が沢山いて、そのうちの「最愛」のもの、ということかもしれない。

 また、「最愛だ」は「形容動詞」などと言うシロモノではなくて、単に〈名詞〉に〈助動詞〉が加わっただけの表現である。そもそも「形容動詞」などというものは、形式主義的な解釈の産物であって、実在するものではない。「親愛なる君へ」などという表現は普通に存在するからと言って、「親愛だ」という形容動詞が存在するかといえば、二重の意味でそんなものは存在しないのである。「最愛だ」が言えないとして、ここから機械的に「最愛な」「最愛なる」が不適切だと論じる形而上学的な頭脳に問いたい。あなたは「親愛なる」という表現がなぜ成立するのかを、別の屁理屈で説明するのかと。





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最終更新日  2014年03月24日 11時57分07秒
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ガラスの玉は、本物の真珠をきどるとき、はじめてニセモノとなる。

政治の分野であろうと学問の分野であろうと、革命的な仕事にたずさわる人たちは道のないところを進んでいく。時にはほこりだらけや泥だらけの野原を横切り、あるいは沼地や密林をとおりぬけていく。あやまった方向へ行きかけて仲間に注意されることもあれば、つまずいて倒れたために傷をこしらえることもあろう。これらは大なり小なり、誰もがさけられないことである。真の革命家はそれをすこしも恐れなかった。われわれも恐れてはならない。ほこりだらけになったり、靴をよごしたり、傷を受けたりすることをいやがる者は、道に志すのをやめるがよい。

孤独を恐れ孤独を拒否してはならない。名誉ある孤独、誇るべき孤独のなかでたたかうとき、そこに訪れてくる味方との間にこそ、もっとも深くもっともかたいむすびつきと協力が生まれるであろう。また、一時の孤独をもおそれず、孤独の苦しみに耐える力を与えてくれるものは、自分のとらえたものが深い真実でありこの真実が万人のために奉仕するという確信であり、さらにこの真実を受けとって自分の正しさを理解し自分の味方になってくれる人間がかならずあらわれるにちがいないという確信である。

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