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ゆきよきの言語学・夏目漱石・日本史

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2016年06月02日
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カテゴリ:学び方・振り返り
(2)小論執筆の学び

 第1に、小論執筆の学びに関して、4月例会の報告レジュメ、春期関西例会の発表用レジュメ、ブログ掲載用論稿「比較言語学誕生の歴史的必然性を問う」、「5月例会報告」の執筆、春期関西例会レポートの執筆について振り返る。

 まず、4月例会の報告レジュメに関してである。ヘーゲル『哲学史』の中世哲学の序論、アラビアの哲学、スコラ哲学に関しての報告を作成した。中世期においては、哲学がアラビア世界で保存されつつ、ゲルマン民族はキリスト教を受け入れるという課題を背負っていたのだということがそれなりに把握できたと思う。また、中世期やアラビアのあり方を生命の歴史の論理で説明してみるという試みも行ったが、こちらに関しては、どのような側面が生命の歴史のある1つの段階に当たるのかという理由付けが大切であって、単にあてはめてみましたという程度ではあまり意味がないということもよく分かった。その理由付けを行うためにも、『看護のための「いのちの歴史」の物語』をしっかりと学び直していく必要があるが、これはスカイプ学習会で取り上げることとしたので、生命の歴史のどの段階でどのような発展があったのか、それは地球環境とのどのような相互浸透の結果なのかという論理的な流れをしっかりと押さえていきたいと思う。

 次に、春期関西例会の発表用レジュメ「科学的言語学体系の創出を目指して」に関してである。これに関しては、「1 本報告の問題意識」にも記載した通り、その前の合宿で発表し切れなかった「言語学の構造図」に関して、他会員からの「経済学の構造図」の提示からの刺激も受けつつ、もう少し修正を加えつつ、『言語学原論』執筆への課題も含めて展開しようとしたものであった。「言語学の構造図」自体に関しては、合宿当日に指摘のあった、目的論・方法論・対象論が言語についてのものなのか、言語学についてのものなのか、はっきりしないという部分にまで考えが及んでいなかったことが反省点である。また、これも当日指摘のあった、庄司さんの対象・認識・表現に関する図に関しても把握不足で、こうした文化遺産と自分の考えとの関係を十分考察できなかった点も今後の課題である。とはいえ、この構造図で言語研究史の流れは一応の説明ができるのではないかという思いもあるので、今回の図をたたき台として、ヨリ精密な構造図として発表できるよう、言語の構造をしっかりと把握できるよう研鑽していきたい。加えて、合宿で指摘のあった表現の問題、論理的なつながりが十分に言語として表し切れていないという問題についても、自分の専門である言語に問題があるという決定的な欠陥の指摘をいただいたとして、強烈な問題意識として持ち続け改善していけるような頭を創っていきたい。

 第3に、ブログ掲載用論稿「比較言語学誕生の歴史的必然性を問う」の執筆についてである。これは以前の合宿で、比較言語学誕生の歴史的必然性を問われた際に、明確に解答できなかったことを契機として、ここに筋を通すべく執筆したものであった。17世紀の言語論においては、言語とそれが指し示す対象との間に認識が介在していることが明確に把握され、その認識に基づく語の二大別がなされるまでに言語と認識との関係が明らかにされてきたのであったが、ここから20世紀の時枝誠記の言語論へと至る過程においては、言語(とそのもととなる認識)を捉える視点が上昇したという把握が可能である。つまり、2015年秋期関西例会において説明したように、「認識を「点」ではなく「過程」として把握できた」(過程として把握できるほど視点が上昇した)という理解が可能である。しかし、この17世紀の言語論と20世紀の言語論を媒介する比較言語学に関しては、こうした言語と認識との関係の追及という流れとは一線を画する(むしろ意図的に認識の問題を排除して言語を捉えようとしている)ため、その誕生の必然性が説明し切れなかったのであった。今回、小論としてこの問題を考察することによって、比較言語学が誕生する直接の契機であったサンスクリットの「発見」、当時の時代背景としての歴史主義、ダーウィンの進化論的発想、合理主義の否定による経験主義的・実証主義的研究方法の台頭など、さらには認識論的な実力の幼さの問題がそれなりに整理できたと思う。今後は、比較言語学が達成できなかった認識論に基づいた言語の生成発展史の解明、及び言語研究史の流れの更なる解明が課題となってくる。

 第4に、「5月例会報告」の執筆についてである。ここでは5月例会で扱ったヘーゲル『哲学史』の学問の復興に関する議論を中心に展開した。実はこの5月例会は、4月の春期関西例会とともに、私の表現に違和感があると指摘された(5月例会に関しては、例えば「逆噴射」に関わる部分など)にもかかわらず、どこに違和感があるのか、私自身にはすぐには判断できず、あれこれと説明しながら考えているうちに全体の議論が次々と先へ進んでしまって、何とも消化不良というか、訳が分からないままの状態というか、非常に困ってしまうという体験をしたことであった。もちろんこのことは、まわりが悪いということではなくて、私の頭が悪いということだと思うのだが、問題は自分のどこが悪いのか、はっきりと把握できていないということ、さらに、そのために、どのようにすればこの状態を改善できるのか、抜け出せるのか、その指針がないことにあると思われる。当面は、自分が正しく説明しているのに、何故これが分かってもらえないのか、という問いかけを全否定して、相手の指摘を「偏問」なしに受け入れて、その相手が描いている像を必死になって追体験しようとする努力を重ねていこうと思う。こうした過程で、徐々にではあるが自分の頭を論理的に整えることで、自分の表現も論理的に整うようにしていきたいと思う。とりあえずは、この「5月例会報告」としてまとめた議論内容に関して、他会員の意見も踏まえて、自分が自分を客観的にみられるように努力したいと思う。

 最後に、春期関西例会レポートの執筆に関してである。半月以上あとになってしまったが、何とか執筆することができた。講義再現も、上記の理由も含めて不十分だが、この執筆で得た成果を記載しておく。何よりもまず確認しておく必要があるのが、現実の問題と関わり続ける中で、言語学を創出しなければならないのだという強烈な感情を持つ必要性があるということである。こういうと、何か本末転倒なような感じを与えるかもしれない(まず言語学を創出したいという思いがあって、それに合わせる形で現実の問題を探していくというのはおかしいのではないか、現実の問題がまずあって、それを解決するためにこそ言語学の創出が必須なのだという流れが本来のあり方ではないか、と思われるかもしれない)が、直観的には言語に関わる現実の問題が多々あることは分かっていて、それを筋を通した形で、感情を込めた形で把握したい、ということである。そうすることで、言語学を何としても創出するのだ、という思いを土台として、ではそのためにはどのような研鑽が必要になってくるのかに関して、これも感情レベルで掴めるようになると思う。おそらく、ここで必要になってくるのが、論理的な文章を書き続けることであって、使える概念、使える論理を広げていくとともに、しっかりと使える概念、使える論理で分かりやすく説明していくことであろうと思う。こうしたことを「三 感想文」に認めたので、是非皆さんのコメントをいただければと思う。





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最終更新日  2016年06月02日 16時15分32秒
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ガラスの玉は、本物の真珠をきどるとき、はじめてニセモノとなる。

政治の分野であろうと学問の分野であろうと、革命的な仕事にたずさわる人たちは道のないところを進んでいく。時にはほこりだらけや泥だらけの野原を横切り、あるいは沼地や密林をとおりぬけていく。あやまった方向へ行きかけて仲間に注意されることもあれば、つまずいて倒れたために傷をこしらえることもあろう。これらは大なり小なり、誰もがさけられないことである。真の革命家はそれをすこしも恐れなかった。われわれも恐れてはならない。ほこりだらけになったり、靴をよごしたり、傷を受けたりすることをいやがる者は、道に志すのをやめるがよい。

孤独を恐れ孤独を拒否してはならない。名誉ある孤独、誇るべき孤独のなかでたたかうとき、そこに訪れてくる味方との間にこそ、もっとも深くもっともかたいむすびつきと協力が生まれるであろう。また、一時の孤独をもおそれず、孤独の苦しみに耐える力を与えてくれるものは、自分のとらえたものが深い真実でありこの真実が万人のために奉仕するという確信であり、さらにこの真実を受けとって自分の正しさを理解し自分の味方になってくれる人間がかならずあらわれるにちがいないという確信である。

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