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ゆきよきの言語学・夏目漱石・日本史

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2016年06月25日
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カテゴリ:学一般
(3)「広島演説」は人類の歩みを「物語」として語った

 本稿は、主体的に日本国家を建設していく1つの手がかりとして、唯一の被爆国に暮らす我々日本人が核兵器のない世界を実現していくためには、オバマ米大統領が行った「広島演説」をどのように把握すべきか、「広島演説」の内容を具体的に検討していくことを通じて明らかにしていくことを目的とした小論である。

 前回は、「広島演説」における「選択」という言葉をキーワードにして、いくつかの箇所を具体的に引用しながら検討した。まず、「広島演説」の締めくくりの部分に着目し、オバマ大統領が、人類の「選択」如何によって、戦争のない平和な世界が実現できるのか、核戦争によって世界が滅んでしまうのかが決まってしまうのだということを前面に押し出すことで、子供たちのために世界平和が実現している未来を目指すべきであることを、被爆地広島の地で高らかに宣言したことを確認した。また、オバマ大統領は、人類が「新しい未来を発見するために過去から学ぶ」(三浦つとむ『弁証法はどういう科学か』p.267)存在であるという認識のもと、国家の指導者がどのような「選択」をするかが世界の未来を決めるのだという把握を行っていることを見た。こうした問題提起自体は肯定的に捉えられえるとはいえ、「広島演説」には、こうした積極的な側面ばかりではなく否定的に捉えるべき点もあり、具体的には、戦後の米国による日本統治のあり方が、実際には日本の「選択」を許さない強制的なものであり続けているにもかかわらず、それを日米共同の「選択」であるかのごとき表現を行っていることは欺瞞であると述べておいた。

 さて今回は、「広島演説」に登場する「物語」に焦点を当てて、その内容を見ていくこととしたい。

 まず、「物語」(=”story”)という言葉が直接使われている次の箇所を検討したい。ここで” that ideal”とあるのは、その直前に示されている「全ての人間は生まれながらにして平等であり、創造主によって、生命、自由、幸福追求を含む不可侵の権利を与えられている」(米独立宣言の前文)という理想を指している。

Realizing that ideal has never been easy, even within our own borders, even among our own citizens. But staying true to that story is worth the effort. It is an ideal to be strived for, an ideal that extends across continents and across oceans.
The irreducible worth of every person, the insistence that every life is precious, the radical and necessary notion that we are part of a single human family: that is the story that we all must tell.
 そうした理想の実現は、国内においてさえ、自国民の間においてさえ、決して簡単なものではなかった。しかし、そうした物語に忠実であることは、努力する価値があることである。それは懸命に追い求めるべき理想であり、大陸と海をまたぐ理想である。
 全ての人のかけがえのない価値、全ての命が貴重であるという主張、私たちは人類という1つの家族の一員であるという根源的で不可欠の考え方。こうしたことが、私たち全員が伝えなければならない物語なのである。


 ここでは、生存権、自由権、幸福追求権などが保障され、全ての人間が平等に扱われるような社会、全ての人間の価値が認められ、全ての人間の命が大切にされ、人類が1つの家族のように扱われる社会、こうした社会を実現することは、確かに非常に困難ではあるが、人類はこれまでもこうした理想を追求してきたし、これからも追求していかなければならないのだ、こうした人類の歩みを後世に伝えていかなければならないのだ、というオバマ大統領の思いが示されている。そしてオバマ大統領は、人類は理想を実現するという「物語」を生きているのだと把握している、つまりこうした理想実現に向けた人類の歩みを「物語」として把握しているのである。

 「広島演説」ではほかにも、「物語」(=”story”)という言葉が使われている部分がある。例えば、上記の米独立宣言の前文が示される直前には、” My own nation's story began with simple words”(私の国の物語は簡単な言葉で始まった)とあるし、前回紹介した” We're not bound by genetic code to repeat the mistakes of the past. We can learn. We can choose”(私たちは過去の過ちを繰り返すよう、遺伝子によって縛られているわけではない。私たちは学ぶことができる。私たちは選択することができる)という部分の直後には、” We can tell our children a different story”(私たちは子供たちに違った物語を伝えることができる)という表現もある。また、” memorials that tell stories of courage and heroism”(勇気と英雄の物語を伝える記念碑)という言葉も出てくる。

 こうした「物語」(=”story”)という言葉の使われ方からすると、オバマ大統領は人類の歴史を超歴史的な視点から眺め、過去も現在も未来も含めた壮大な叙事詩として把握しているのではないかと思われてくる。そうすることで、この「広島演説」に格調の高さを与え、人類は歴史的な一歩をこの広島から歩み始めるのだということを強調しているように思われる。

 それはそれで、オバマ大統領がこの「広島演説」の価値を高めるために工夫を凝らしたのだといえるだろう。しかし問題は、このような歴史の事実を「物語」として語ることのもう1つの意図にあるのである。

 そもそも「物語」(=”story”)という言葉は、現実の世界とは別個の空想的な世界の出来事を、それなりの筋を通して展開したものを指す。だから、その空想的な世界の中に視点をおけば、人類がまだ実現できていない理想を描いて、それを目的として主体的に歩んでいくのだという積極面を持ちうる、今回の場合でいえば、人類の壮大な歩み、人類の選択の積み重ねによって理想を実現する過程を捉えて使うというような主体的な性格を持ちうる一方で、あくまでも現実の世界から空想の世界を眺めるという関係が強調されれば、現実の世界に生きる我々とは別の世界の空想的な出来事、我々が関与できない遠く離れた世界の出来事について語る場合に使うという受動的な性格をも持ってしまうことになる。端的には、「物語」(=”story”)には主体的に関われる(関わるべき)というイメージの他に、「他人事」として受け入れるしかないというイメージがついて回ることにもなるのである。

 こうした「物語」(=”story”)の2つの側面を念頭に置きつつ、「広島演説」の冒頭部分を見てみることにしよう。

Seventy-one years ago, on a bright cloudless morning, death fell from the sky and the world was changed. A flash of light and a wall of fire destroyed a city and demonstrated that mankind possessed the means to destroy itself.
 71年前、明るく雲一つない朝、死が空から降ってきて、世界は変わってしまった。閃光と火の壁が街を破壊し、人類が自らを破壊する術を手に入れたことを見せつけた。


 この冒頭の箇所では、広島の街に原爆が投下されたことや、その凄まじい破壊力が如何ほどのものであったのかということについて、(「物語」(=”story”)という言葉は直接は使われていないものの)「物語」的に語られている。つまり、全くの「他人事」として語られているのである。「広島演説」に登場する「物語」という意味では、これほど象徴的な箇所はないであろう。また、前回取り上げた結びの部分でも、” The world was forever changed here”(世界はここで永遠に変わってしまった)という表現があったが、これなども非常に「物語」的である。つまり、語り手とは関係のない、語り手がコントロールできない世界の出来事として、原爆投下が語られているのである。このことがどのようなことを意味するかといえば、現実の世界に存在するオバマ大統領(や米国)については、その「物語」の世界とは別の世界に生きているということを意味しているのである。ヨリ露骨にいえば、「物語」として語られた第二次世界大戦の原爆投下に関しては、現実の世界にいるオバマ大統領(や米国)とは一切関係がないのだ、ということをほのめかすためにこそ、こうした「物語」的な表現が使われているのである。

 オバマ大統領はこうした表現を用いることによって、被爆者ではなく、米国にいる退役軍人組織(米国で一定の政治的勢力を持つ)を中心とした米世論に語りかけ、原爆投下という「加害者」意識を喚起しないように配慮しているのである。原爆によって街は壊滅し、多くの無辜の人々の命が奪われ、今のなお、その後遺症に苦しむ人々がいるという事実、通常であれば「加害者」意識から罪の意識に苛まれかねないような現実、これらを「物語」に解消することで、原爆投下に対する責任を回避すること、これこそが、「歴史の事実を「物語」として語ることのもう1つの意図」なのである。こうしたやり口が成功していることは、日本の世論調査における「オバマ広島訪問支持」が圧倒的多数であることが証明しているが、ここは厳しく問い直されなければならない。





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最終更新日  2016年06月27日 08時51分45秒
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