カテゴリ:学び方・振り返り
(2)小論執筆の学び
第1に、小論執筆の学びに関して、9月の関西例会用の発表レジュメ「三浦つとむ『認識と言語の理論』を読む」とその論文化したもの、及び例会報告の執筆過程の学びについて振り返る。 まず、「三浦つとむ『認識と言語の理論』を読む」の例会発表用レジュメ及びその論文化したものについてである。レジュメに関しては、9月は三浦言語学の本体部分についての執筆を中心に行った。3つの二重性という形で言語の特質を明らかにしておられることがよく把握できたと思う。言語研究史の流れでいえば、三浦さんの説く客体的表現と主体的表現との二重性は、ロックや『ポール・ロワイヤル文法』の流れ、さらには鈴木朖や時枝誠記の把握を自分と世界との二重性として把握しなおしたものだといえると思う。言語の意味と意義との二重性に関しては、言語が言語規範を媒介する表現であることから必然的に生じてくる性質だということであろう。最後の言語表現と非言語表現との二重性に関しては、これは三浦さん自身は述べてはいないが、ソシュールの説くラングとパロールを音声や文字に統一した把握だといえよう。こうした言語研究史の流れも踏まえて、三浦言語学の核心的な部分が整理できたのではないかと思う。論文全体についても、三浦認識論の大きな柱として、観念的な自己の運動ということと規範論とを取り上げ、それらの論理が言語の解明にどのように役立てられているのかについてもしっかりと把握できたし論文としても説けたと思う。 しかし一方で三浦言語学は、言語とは何かの本質的な規定がないという大きな弱点も持っている。だから、『認識と言語の理論』においても、その本質論から構造を導き出し、言語学の構造に従った体系的な展開、ということにはなっていないのである。さらにいえば、言語が歴史的に創出されてきた必然性について、人間の本質的なあり方を踏まえて説ききるということもできていない。私の使命としては、科学的な言語学体系を構築するとともに、言語の生成発展過程を明らかにしていく必要がある。そのためにも、そもそもなぜ言語学の構築なのか、現代の諸々の問題と言語学がどのようにつながっているのか、しっかりと把握していく努力が必要だと感じている。このあたりの弱さが、論文へのコメントとして他会員から指摘されたことでもある。 次に、例会報告の執筆過程における学びについてである。9月例会では、ヘーゲル『哲学史』のうち、バークリー・ヒュームの哲学、スコットランド哲学、フランス哲学を中心に扱った範囲を取り上げて議論した。こうした議論を振り返り、例会報告を執筆していくことで、それぞれの哲学がどのような特徴を持ったものであるのか、ヘーゲルのいう哲学の完成にとってどのような意義があったのか、理解が深まったと思う。バークリー・ヒュームの哲学については、一言でいえば、全てを観念だとして把握した点にヘーゲルは大きな評価を与えていたのであった。但し、それが感覚的な観念のみを問題にし、抽象的な認識については説ききれていないという問題があったことも把握できた。スコットランド哲学については、スミスの評価という点でヘーゲルと我々とは違った立場ではあったが、大きな点でいえば、社会的認識というものに焦点を当てて、その生成発展過程を明らかにしようとしたのだという意義があると思う。最後のフランス哲学については、なかなか理解し切れない部分もあったが、自由という理念を掲げて、人間の中にこそ真理の基準が存在するの出した点が、フランス革命も含めての人類史上の大きな意義であったと理解した。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2016年10月06日 17時07分17秒
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