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ゆきよきの言語学・夏目漱石・日本史

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2016年10月12日
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カテゴリ:言語学
序論
(1)言語に関する科学的な理論が求められている

 8月に行われたリオデジャネイロオリンピックでは、数々の名場面が誕生するとともに、多くの名言も残されました。皆さんは、どのシーン、どの言葉が印象に残っているでしょうか。内村航平選手の体操個人総合二連覇でしょうか。男子400mリレーでの日本の銀メダルでしょうか。あるいは、柔道73kg級で金メダルに輝いた大野将平選手の「柔道の素晴らしさ、美しさ、強さを伝えられたと思う」という言葉でしょうか。卓球シングルスで銅メダルを獲得した水谷隼選手の「今日負けたら一生後悔すると思った。死にたくなると思った。絶対に負けたくないという気持ちで頑張りました」という言葉でしょうか。

 筆者が最も印象に残っているのは、五輪4連覇を目指したレスリングの吉田沙保里選手が、惜しくも決勝戦で敗れた後、涙を流し声を詰まらせながら次のように話したことでした。

「たくさんの方に応援していただいたのに、銀メダルに終わってしまって申し訳ない。日本選手団の主将として金メダルを取らないといけなかった。最後は勝てるだろうと思っていたが、取り返しのつかないことになってしまった。」(*1)


 映像で見ていただくと非常によく分かるのですが、日本選手団の主将として金メダルを取らなければならない試合、それも五輪4連覇もかかった試合に敗れたことの無念さ、責任を果たせなかった悔しさ、大きな期待を寄せてくれた国民への申し訳なささがとてもよく表れている言葉だと思います。ただ、筆者はこの発言を聞いた時、少し引っかかることがありました。それはこの発言の最後の部分で「取り返しのつかないことになってしまった」と吉田選手が述べていることです。通常、「申し訳ない」と言われれば、期待してくれた沢山のファンに謝っているのだということが分かりますし、それは「たくさんの方に応援していただいたのに」という言葉で直接表現されてもいます。また、責任を果たせなかったということについても、「日本選手団の主将として」という部分によく現れています。だから、吉田選手が国民の大きな期待を背負って、4連覇を果たすべく日本選手団の主将としての大きな責任感を持って戦ったのに金メダルを取れかなった、そのことに対して謝罪し、無念さをにじませるということはとてもよく分かるのです。しかしそのことを、「取り返しのつかないことをしてしまった」といわれると、少し大げさ過ぎる表現ではないかと感じました。筆者はそこに何か非常に大きな背景があるのではないかと思ったのでした。

 そこで調べてみると、次のようなことが分かりました。吉田選手の父は幼いころから吉田選手の指導をしていました。2年前に亡くなる前には、吉田選手と4連覇の約束をしていたそうです。また、「勝って終わるのと負けて終わるのは違うよ」とよく吉田選手に話していたそうです。(*2)

 こうした事実を踏まえるならば、吉田選手はまず何よりも、亡き父との約束を果たすべく決勝戦に臨んだはずです。もしかしたら4連覇を成し遂げて、勝ち切って引退を考えていたのかもしれません。しかし、今回の五輪で決勝で敗れ、4連覇を果たせなかった、勝って終わることができなかった、父との約束を果たせなかった、約束をした父はすでに他界しているため、再度約束してそれを果たすこともできない、だからこそ「取り返しのつかないことになってしまった」という表現になったのだろうと思います。

 ここで考えてみなければならないことは、言語は人間の認識を表現するものなのですが、認識にあることの全てが言語として表現されるわけではない、ということです。吉田選手の言葉には、先に見たように、謝罪の気持ちや責任感については、直接に表現されています。「申し訳ない」とか「日本選手団の主将として」などと述べられています。しかし、この吉田選手の言葉には、「取り返しのつかないことをしてしまった」という以外に、父との約束に関するものは、言葉としては表現されていないのです。ではこの発言をした時、吉田選手の頭の中に父との約束は全くなくなってしまっていたのかといえば、そうではないはずです。吉田選手の頭の中には父との約束がしっかりと存在していて、必ず4連覇するのだという強い気持ちがあったにも関わらず、それが達成できなかったからこその「取り返しのつかないことになってしまった」という発言になったのです。

 このように、言葉の意味するところを正確に掴むためには、その言葉を発した人間の頭の中をしっかりと捉える、つまり言葉からその背後にある認識を辿っていく必要があるのです。そうすることによって、実際には言葉として語られなかった認識をも把握することができるのです。言葉として語られた部分だけで吉田選手の気持ちを全て把握したつもりになるのであれば、この吉田選手の言葉に込められた重みを理解できていないということになってしまうでしょう。

 しかし、言葉から認識を辿っていくというのは、そう簡単なことではありません。言葉に込められた全ての内容を正しく把握することは非常に難しいことです。一体、どのようにすれば、言葉から認識を辿っていって、その言葉に込められた思いをしっかりと受け止めることができるのでしょうか。逆に、一体、どのようにすれば、認識をしっかりと言葉に表すことができるのでしょうか。

 こうした問題に解答を与えるためには、認識と言語との関係について、きちんと把握した理論が必要になってきます。

(*1)朝日新聞DEGITAL2016年8月19日
http://www.asahi.com/articles/GCO2016081901001112.html
参考ページhttps://www.youtube.com/watch?v=U2KSd4pHnEA

(*2)livedoor news2016年8月19日、Sponichi Annex2016年8月18日
http://news.livedoor.com/article/detail/11907765/?p=2
http://www.sponichi.co.jp/sports/news/2016/08/18/kiji/K20160818013189650.html





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最終更新日  2016年10月12日 10時47分58秒
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ガラスの玉は、本物の真珠をきどるとき、はじめてニセモノとなる。

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孤独を恐れ孤独を拒否してはならない。名誉ある孤独、誇るべき孤独のなかでたたかうとき、そこに訪れてくる味方との間にこそ、もっとも深くもっともかたいむすびつきと協力が生まれるであろう。また、一時の孤独をもおそれず、孤独の苦しみに耐える力を与えてくれるものは、自分のとらえたものが深い真実でありこの真実が万人のために奉仕するという確信であり、さらにこの真実を受けとって自分の正しさを理解し自分の味方になってくれる人間がかならずあらわれるにちがいないという確信である。

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