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ゆきよきの言語学・夏目漱石・日本史

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2016年10月13日
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カテゴリ:言語学
(2)三浦言語学の歴史的意義とは何か

 前回は、リオデジャネイロオリンピックにおいて、4連覇を目指しながらそれが果たせなかった吉田沙保里選手の試合後の発言を取り上げて、吉田選手がどのような思いを持っていたのかを分析してみました。単に期待してくれていた国民の願いに応えることができなかったとか、日本選手団の主将として4連覇をしなければならないという責任があったのにもかかわらずそれが果たせなかったとか、そういう謝罪や無念の気持ちだけではなくて、亡くなった父との約束が果たせなかったことこそが、「取り返しのつかないことになってしまった」という表現に表れているのだということを説明しました。そして、こうした言葉の正確な理解のためには、あるいは言葉の正確な表現のためには、認識と言語との関係に関する科学的な理論が必要だと述べたところまででした。

 では、認識と言語との関係はどのようなものなのでしょうか。

 まず、前回も見た通り、認識は必ずしも言語に表現されるわけではありません。父との約束が果たせなかったという強烈な思いがあったとしても、それが必ずしも言語として全て表現されるとは限らないわけです。逆に、表現しようと意図していなかったことまで言語で表現してしまうということもあります。例えば、殺人事件の犯人が捕まって、当初は否認していたものの、警察の巧みな誘導によって、犯人しか知りえないことをうっかりと話してしまった、などということもあるでしょう。このように、認識と言語とは相対的に独立しているという関係があるのです。

 しかし一方でしっかりと押さえておくべきことは、言語には認識が間違いなく表現されているということです。なぜこんな当たり前のことを強調するかというと、言語研究の歴史において、言語を人間の認識とは無関係の、それ自体で生成・発展・消滅する有機的な存在であると考えられていたこともあるからです。また、言語には認識が表現されているからこそ、前回見たように、吉田選手の言葉から、そこには直接表れていない父との約束が果たせなかった無念さを把握することができるのです。

 認識と言語との関係というのは、こうした日常的な事柄に関する関係だけではなくて、人間の本質的なあり方にも大きく関わっています。

 人間は、他の動物と違って、本能の統括によってではなく、認識の統括によって生活している存在です。例えば、ライオンであれば、空腹時にはエサを求めて草原を駆け巡り、満腹であればたとえ目の前にエサとなる動物がいたとしても、決して襲うことはないでしょう。これは本能によって統括されているからです。しかし人間の場合であれば、もちろん空腹時には食事をとろうとし、満腹になれば食事をやめることが基本となるのですが、これは本能という予め決められたプログラムによってなされるのではなくて、目的像を描いて行動するという認識の統括によるのです。ですから、ダイエット中であればたとえお腹が空いても食事をとらないこともありますし、逆にスポーツなどで体を大きくする必要があるような場合には、満腹でも食べ続けるようなこともあります。これが認識の統括によって生活しているということの中身です。

 人間はさらに、集団での生活を統括するために、掟レベルの社会的認識を創出してきました。他の動物であれば、集団生活は本能により統括されているために、それぞれが勝手に行動するなどということはあり得ないのですが、人間の場合であれば、本能が薄れている分、独自の認識に基づいてバラバラに行動し、集団生活が維持できないということになりかねません。そこで、自分たちの集団内において守るべき事柄を掟として定めておいて、これに従って生活することで、集団を統括するという形態が生み出されたのです。単純な掟、例えばあの場所には近寄ってはならないとか、ボスには従わなければならないとかいったものであれば、これは言語なしにも創ることは可能でしょう。危険な場所に近寄ろうとした者を力ずくで引き止めたりすれば、そこには近寄ってはならないのだということが分かってきて、そうした掟を自分の頭に持つこともできるからです。しかし、現代社会における法律のような複雑で込み入った内容を言語なしに理解させることは不可能です。端的にいえば、人間が社会を維持するのに必須の規範(社会的認識)を形成するためには、言語はなくてならない存在なのです。こうしたことを考えてみても、認識と言語とが如何に深くつながっているかということが分かってくると思います。

 そこで本稿では、こうした認識と言語との関係を解明するために、三浦つとむ『認識と言語の理論』を読んでいきたいと思います。三浦はこの著作のタイトルが示唆している通り、言語の問題を考える上で、認識の問題を解く必要があるという問題意識の下、認識の構造を解明し、認識から言語に至る過程的構造を解き明かしているのです。この著作を読み進めることで、認識と言語との関係を明らかにするとともに、これまでの言語研究者の研究史の流れを踏まえつつ、三浦の言語理論の歴史的位置づけを明らかにし、科学的な言語学体系を構築する土台を固めたいと思います。

 今回の最後に、『認識と言語の理論』の目次を提示しておきます。なお、本書は第3部までありますが、この第3部は第1部第2部では十分に説けなかった部分を補うために、独立した論文を集めたものですので、本稿では第1部第2部を中心に読んでいくこととします。

『認識と言語の理論』 目次

まえがき

第1部 認識の発展

 第1章 認識論と矛盾論
  1 識論論と言語学との関係
  2 認識における矛盾
  3 人間の観念的な自己分裂
  4 「主体的立場」と「観察的立場」
  5 認識の限界と真理から誤謬への転化
  6 表象の位置づけと役割
  7 予想の段階的発展――庄司の三段階連関理論

 第2章 科学・芸術・宗教
  1 法則性の存在と真理の体系化
  2 仮説と科学
  3 概念と判断の立体的な構造
  4 欲望・情感・目的・意志
  5 想像の世界――観念的な転倒
  6 科学と芸術
  7 宗教的自己疎外

 第3章 規範の諸形態
  1 意志の観念的な対象化
  2 対象化された意志と独自の意志との矛盾
  3 自然成長的な規範
  4 言語規範の特徴
  5 言語規範の拘束性と継承
  6 国際語とその規範

 第4章 パヴロフ理論とフロイト理論の検討
  1 パヴロフの人間機械論と決定論
  2 フロイト理論の礎石
  3 不可知論と唯物論との間の彷徨
  4 フロイトの基礎仮説――「エス」「自我」「上位自我」
  5 無意識論と精神的エネルギー論
  6 夢と想像
  7 性的象徴
  8 「幼児期性生活」の正体
  9 「エディプス・コンプレックス」の正体
  10 エロスの本能と破壊本能
  11 右と左からのフロイト批判

第2部 言語の理論

 第1章 認識から表現へ
  1 表現――精神の物質的な模造
  2 形式と内容との統一
  3 ベリンスキイ=蔵原理論
  4 対象内容説・認識内容説・鑑賞者認識内容説
  5 言語学者の内容論
  6 価値論と内容論の共通点
  7 吉本と中井の内容論
  8 記号論理学・論理実証主義・意味論

 第2章 言語表現の二重性
  1 客体的表現と主体的表現
  2 記号における模写
  3 小林と時枝との論争
  4 言語における「一般化」
  5 概念の要求する矛盾
  6 言語表現と非言語表現との統一

 第3章 言語表現の過程的構造(その1)
  1 身ぶり言語先行説
  2 身ぶりと身ぶり言語との混同
  3 言語発展の論理
  4 「内語」説と第二信号系理論
  5 音声と音韻
  6 音声言語と文字言語との関係
  7 言語のリズム

 第4章 言語表現の過程的構造(その2)
  1 日本語の特徴
  2 「てにをは」研究の問題
  3 係助詞をどう理解するか
  4 判断と助詞との関係
  5 主体的表現の累加
  6 時制における認識構造
  7 懸詞、比喩、命令
  8 代名詞の認識構造
  9 第一人称――自己対象化の表現

 第5章 言語と文学
  1 作者に導かれる読者の「旅行」
  2 言語媒材説と芸術認識説
  3 鑑賞法の表現としての俳句の構造
  4 文体と個性
  5 芸術アジ・プロ論――政治的実用主義
  6 生活綴方運動と「たいなあ方式」
  7 上部構造論争――芸術の価値の基礎はどこにあるか
  8 本多の「人類学的等価」とマルクスのギリシァ芸術論

 第6章 言語改革をめぐって
  1 言語観の偏向と言語改革論の偏向
  2 文字言語に対する見かたの対立
  3 表音文字フェティシズムからの幻想






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最終更新日  2016年10月13日 09時38分15秒
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政治の分野であろうと学問の分野であろうと、革命的な仕事にたずさわる人たちは道のないところを進んでいく。時にはほこりだらけや泥だらけの野原を横切り、あるいは沼地や密林をとおりぬけていく。あやまった方向へ行きかけて仲間に注意されることもあれば、つまずいて倒れたために傷をこしらえることもあろう。これらは大なり小なり、誰もがさけられないことである。真の革命家はそれをすこしも恐れなかった。われわれも恐れてはならない。ほこりだらけになったり、靴をよごしたり、傷を受けたりすることをいやがる者は、道に志すのをやめるがよい。

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