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カテゴリ:ヨーロッパ
ノルウェーのハンナが我が家に遊びに来た時、
彼女は来日して5ヶ月目、高校2年生だった。 夏の暑い日の夕方 お茶を飲みながら、“日本語”について話した。 彼女にはたくさん疑問があったようだった。 「“気に入る”と“好き”はどう違うの?」 「関係ないってどういう事?」 「微妙ってどれくらい?」 次々質問されても、うまく答えられなかった。 普段私達が意識せずに使っている言葉、それこそ“微妙”に意味が違うのだろうけど それは感覚として自分の中で理解している言葉だった。 結局、はっきりした答えが出なかった。 いろいろ例を挙げて言ってみたのだけど、分かってもらえなかったのだ。 それから半年後、ハンナは無事に日本での留学生活を終え、ノルウェーへ帰って行った そして、先週。 ハンナから日本語でメールが届いた。 私が送った「今年の桜の押し花」が届いたのだ そこにはこう、書かれていた。 「最近読んだ日本の本のなかにこんな言葉を見つけました。 “物の哀れ” とっても日本的だと思います。 桜は“物の哀れ”だと思えるからこそ、綺麗なのかな」 あれから・・・日本での生活を続けて、日本人の感覚を知ったんだなぁ。 きっと、日本語を知ったのでもなく、言葉を覚えたのでもなく、 体で、全身で、その心を知ったんだね 懐かしいなぁ、あの暑い夏の日・・・・。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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