|
カテゴリ:カテゴリ未分類
昨日ある方とやりとりをしている中で「セミナージプシー」について考える機会がありました。
セミナージプシー、それは、もう十分過ぎるくらい学んでいるのに、「あれも足りない、これも足りない」と、いつまでたっても、いろんなセミナーに通い続け、一歩も踏み出せなくなることです。 みなさんも、そんなときないですか? 僕はかつてそんな時期を長く過ごしていました。 (横の空き地になっていた栗) 接骨院でバイトしながらも、身体の施術だけでは、その場は改善されても根本的な治癒にはつながらないと思い、メンタルや食事、運動、ホリスティックな視点と、様々なワークショップや学びを重ねました。けれど、一つ分かったことが増えると、その先にまた未知の世界がどんどん広がっていくのです。 (「既知」を円に例えると、円の直径が広がると、「未知」の世界のとの接点である円周も2パイRに比例してどんどん広がります。実際は既知の世界とは、さらに高次ですから学ぶほどに未知の世界は指数関数的に増えます!) (家の庭に生えていたクロモジ) もちろん学ぶことが悪いのではなく、大切なことですが、多分そんなとき心の根っこには「不安」があるのだと思います。そして視線は外に向けられていますから、永遠に既知の輪は広がり続け、満たされることはありません。まるで僕たちが全世界のすべてを知り尽くすことが出来ないように・・・。 ではいったいどうすればいいのでしょう? その一つの答えが視線を外に向けるのではなく「ズームアウト」していくことです。スピードを落とし、俯瞰することで、視点は外から内に向かいます。(瞑想はまさにそんな状態です) (庭で実ったスダチ) そのうえで「既にあるものは何か?」自分の中を見つめなおし、ありあわせのもので何とかならないか? 知恵を練ります。(以前に書いた記事「ありあわせのもので何とかしちゃうチカラ=ブリコラージュ」) ほんと世の中、ほとんどのことはそれで何とかなるもんです! というのも、ヒトのからだなんて、数万年前からほとんど変わっていないし、昔の人も現代人も悩みなんて結局同じで、長年にわたりウンウン唸りながら考え抜かれた解決策のほとんどは、数千年前の古典にかかれているからです。 最新の発見やメソッドも、ほとんどその焼きなおしや、表現を変えただけといっても過言ではありません。そのうえでまだ足りなければ、学べばいいのだと。 今日もうちの庭をゆっくり見回したら、いろんなものがありました! 多分それは「幸せとはなにか」「足るを知る」みたいなことにもつながると思います。そんな話。
お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
October 5, 2016 04:27:45 PM
コメント(0) | コメントを書く |