第296回 【街の神仏編(26)】 柴又帝釈天(しばまたたいしゃくてん) 後編
(前回からのつづき)帝釈天については、東京を代表する観光名所のひとつでもあり、このブログで改めて説明をするまでもないでしょう。題経寺が正式な寺号で、創建は寛永6年(1629)とのこと。参道を行き交う人々の頭越しに入母屋造りの楼門を見せる二天門は、明治29年の建立で、随所に施された装飾彫刻が美しく、見応えがあります。江戸期から「宵庚申」と呼ばれた庚申参りで賑った帝釈天ですが、現在も庚申の日の縁日には特別な賑わいを見せています。これは、江戸中期に行方不明となっていた日蓮手彫りとされる帝釈天の板本尊が、本堂改修中の安永8年(1779)の庚申(かのえさる)の日に見つかったことに因むとされ、以後60日周期の庚申の日を縁日とするようになったと伝えられます。「帝釈天で産湯をつかい・・・」とは、あまりに有名な「寅さん」の口上ですが、境内には御神水と呼ばれる湧水があり、これが産湯の正体でもあります。そもそもこの地にこの寺が開かれたのも、この湧水の発見がきっかけといわれ、現在もそのまま飲める飲用可の地下水であることに驚きます。帝釈天周辺には、寅さん記念館や矢切の渡しなど、見所も多いですが、個人的には帝釈天裏手の山本亭がお勧めです。大正末期の和洋折衷邸宅で、カメラ部品製造工場を創立した山本栄之助翁の自宅として建てられ、以後四代に渡り、昭和63年まで山本家の邸宅として使用されていたものです。奥行きのある書院庭園を見渡す和室の縁側に座り、ぼんやりと過ごすひと時は、私のような散歩者にとって格別の贅沢といえます。