昭和恐慌
年初から連日の失業増、解雇、の不景気の新聞TVなどの報道を見るにつけて何の取り柄もない50親父としてはけして人事ではない思いで見聞きしている子供の学資の心配、家のローンの残り貯蓄を取り崩しながら生活してる などなど、、、、、とにかく仕事がしたいが仕事がないと云うのは一番堪えることだろうと思う。本日叔父のお見舞いに行ったら先祖の住んでいた北陸のとある地方の郷土史を見せていただいた昭和初期の時代 恐慌と呼ぶに相応しい時代だった頃の新聞の記事には 銀行取付、地震手形の不渡り賃金が下がり紡績など物の値段が下がっている事が書いてあった今と同じデフレだった仕事がない、勤め先もないのも一緒次男三男には継ぐ家督や家業もなく食い扶持を自分で稼ぐため食い扶持を減らすため出稼ぎをした私の祖父が北海道に渡った頃の話北陸のとある地方で6千人の人口のうち 2千人もの人が北海道や地方に出て行ったそうだ。今は、出稼ぎに行ってた期間工員もカットされる時代だから難しい時代だと思うが今朝の新聞には建設業や酪農で人手不足だと書いてあった屋根板金会社やとび職の会社,水産加工会社では募集してもなかなか人が集まらない確かに良い条件での仕事ではないしパートタイムの仕事だったりするが食うことさえままならない昭和初期よりはずっとましで幸せな時代だと古い資料を見ながら思った大正生まれの叔父の家の欄間には 零戦の操縦士の訓練を受けた頃のゴーグルを頭に載せて首に白いマフラーを巻いた19歳の血気盛んな頃の叔父の写真があった色んな思いで写真を見上げた