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カテゴリ:アニメなどの感想について
海外で賞をとった時だけ「アニメは日本の文化だ、素晴らしい」というような人がいることに、私は違和感と不信感を持ってしまいます。 そう言うあなた達は一体どれだけのアニメを見ているのか? ジブリや攻殻だけが素晴らしい、あるいはサザエさんやドラえもんを国民的アニメと言っておけば、とりあえずなんとなく済むのか? エヴァやらきすた(あ、らきすたは私も見てないけど/苦笑)などを社会現象として解説しておけば、ちょっとばかり詳しいアニメの事情通なのか? いざ何かの凶悪事件が起こった時、相変わらずマンガやゲーム・アニメなどの趣味があればそういう情報が流され、一時ほどではないにせよサブカルチャーが事件を誘発したような解説コメントを口にする人もいます。 かと思えば、アニメやマンガなどのサブカルチャーがアジア圏の共通文化としてこのまま浸透してゆけば、アジア共同体のバックボーンにさえなるという主張だってあります。 要は、アニメなど全般に対する評価が極端すぎるんですよ。 (コメンテーターの類はそもそもがその場の話題にのっかっているだけで、アニメも事件そのものでさえ興味がないのかもしれない) 例えば海外にいる士郎正宗さんのファンは日本で言うオタク(コアなファン)に近いものがあると思いますが、それは日本の文化が認められている証拠だという評価の声がある一方で、日本国内にいるオタクはなんだか気持ち悪い犯罪予備軍扱い。趣味がアニメとは社会的には言ってはならないような雰囲気も根強いという、こうしたギャップはあるような気がします。 最近では著名人や芸能人にもアニメ好きやマンガ好きを公言する人たちもいますが、仕事上でマンガを扱う出版社などに縁のあるグラビア関係者だったり、芸人たちのアピール材料(おべんちゃらに聞こえる内容も少なくない)でしかなかったり、一般的な“趣味”とされる読書や音楽鑑賞などとは微妙な一線を感じることもしばしばです。 すぐに思いつくところでは麻生元首相がいますが、その政治的批判の材料に「マンガばかり読んでいるから漢字が読めないんだろ」といわれていたことも同時に思いだせます。 少し考えてみれば、常用漢字として使われている範囲であれば、よほど子供向けのマンガでもない限り漢字も普通に使われているはずです。 むしろ新書などの場合では、気軽に読みやすくする目的で漢字の使用を控える、という話も聞いた記憶があります。 なにかの賞でもとって海外で評価されれば、アニメやマンガは日本の主要産業として期待されるだとか文化として素晴らしいと言うのに、その一時の盛り上がりがすぎてしまえばテレビや新聞などの大手主要メディアで日常的に扱われることはない。 川柳やクロスワードパズル、四コマ漫画だって各紙に欠かせない存在なのに、文化欄で当たり前にアニメを取り上げている大手新聞紙がどれだけあるのか? 犯罪がらみの偏見や番組宣伝の提灯記事を除いて、一般の総合雑誌などでどれだけアニメを紹介、特集しているのか。 つまり、そういうアニメやマンガに対する社会的な扱われ方に、私はずっと違和感を持ち続けているのです。 日本が誇るコンテンツ産業の中核となりうる、とかなんとか言うその人は一体どれだけのアニメを見たことがあるのだろうか? 聞かれて、好きなアニメと好きな理由をちゃんと言えるのか?? では、こうした一時的に注目を集める瞬間風速的な扱いと日常的な扱われ方の食い違いに対してどうするべきなのか。 それは、日常的にアニメやマンガの感想をそれぞれの人が当たり前のように書いて、お互いの感想を言い合うコミュニケーションを社会的に成立させることが、まず必要なのではないかと思うわけです。 一定規模のマスが存在することが、つまりは社会的認知が得られている状態そのものなわけで、今でも少なくない人がネット上でそうしたアニメやマンガの感想を書いているのですが、それがもっともっと当たり前のことになってゆくことが大切なんだろうと思います。 そのために必要なものは、アニメやマンガが好きな人たちが何らかの自覚を持って感想を書くという姿勢、そうした感想や批評に対して先入観による決めつけを持つ人たちに少しずつでも理解を得られるようにする努力、時には決然として誤解やいわれのない偏見に対して立ち向かう勇気、そうしたものなのかもしれません。 韓流ファンという言葉には「熱をあげている困った人だ・・・」という否定的なニュアンスが含まれていても、社会的にはその存在が肯定されており、その人の人間的な資質までを否定するほど深刻なものではないような気がするんですよ。 でも、私の勝手な被害妄想なのかもしれませんが、アニメファンという言葉を使う時・使われる時、その使われ方には微妙にもっと深刻な人間性への否定や生理的な嫌悪感が含まれているような気がしてしまう。 一部の社会的常識を逸脱したアニメファンが定着させた間違った認識がその原因で、つまるところアニメファンの自業自得ではないか?という指摘を百歩譲って甘受したとしても、であればこそなお更そのままでいいとは思えないわけです。 (というか、例えば野球ファンが凶悪事件を起こしたからといって、野球ファンを危険だと短絡的に決めつける人はいない) 日本のアニメが文化であり、創作活動であり表現活動でもあるという認識を、当たり前にもっと広く認識して欲しい。 異常に持ち上げられることなく、不当に忌避されることもなく、一つ一つの作品において一人一人が感じることを日常的に言えるような状態が望ましい。 昨日のドラマを話題にするOL(という存在も最近では都市伝説か?/笑)のように、それがアニメであっても誰も気にしていない状態というか。 普段はろくにアニメの一つも見てないような人たちに、賢しげに文化だなんだと勝手に言われて、海外に評価されたり社会現象として注目を集めたアニメだけを取り上げられて、それがアニメなんだと決めつけられるのでは何か違う。 そういう状態を一気に打ち破るのは難しいし、現状それほど悪化する一方だというほどでもない・・・とも思うのですが、もう少し、ちょこっとでも状況がよくなればいいなぁと思います。 で、そのためにはもっと多くの人たちがアニメやマンガの感想を書いたり話せたりすればいいなと、そう思ってこのブログを書き始めたという私自身の動機もあったんですね。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
Apr 23, 2010 08:59:00 PM
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