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カテゴリ:アニメ業界について
価値観は時代とともに変化するもの。 今日の非常識は明日の常識となり、今日の常識は昨日まで非常識だったかもしれません。 「表現の自由」という大上段を振りかざしてアニメやマンガの規制を考えようとすると、かなり飛躍したような話や結論ありきの話になりがちではないかと思います。 そもそもアニメなどは子供向けだという意識が根底にあり、だから子供向けに“ふさわしい”表現として規制が必要だという話に進みがちではないでしょうか。 入り口の整理として、まずはアニメなどを子供向けの物として考えるのか、それとも大人も含めた一般的な表現作品と考えるのか、あるいはそうした年齢区別を明確にしてゆくべきだと考えるのか、そこら辺りは自覚して考えてみる必要がありそうです。 一般視聴者の立場から見たアニメの表現にはテレビでも地上波と衛星放送の違いがあり、またDVDやブルーレイでの販売によるものも異なる規制があるようで、それぞれ微妙に作品の演出や見た目にわかる絵の変化があります。(テレビ版とDVD版で特に変化のない作品もある) テレビ版では入浴シーンに濃い湯気があったのに、同じ物がDVDになるとかぎりなく薄い湯気に変わっていたり、同じように光を当てて飛ばしてある度合いが変化したり、もっとはっきりとギャグのネタとしてモザイクに変わるイラスト?などの絵で隠してあったり、それがなくなってたり。 お色気シーンはもちろん、血や内臓などの描写が絡む暴力的な表現、台詞においても明らかに小説などの原作よりも過激な表現を押さえた修正が加えられていることもある。 現実には表現の規制(自主規制含む)は既に存在しており、それを意識したうえで作られている場合がほとんどだという理解は大切ではないかと思います。 つまり、一部の行き過ぎた表現を規制したいのか、あるいは今ある規制全体を強化してすべてをどうにかしたいと考えるのか、それを具体的に考えるだけでもかなり違いがあるような気がします。 三十代あたりまでを意識してある美少女アニメと言えそうな深夜アニメ系と、あきらかにファミリー向けのサザエさんやドラえもんなどのアニメと、一般的な中高生を狙った放送時間であり作品であるアニメと。 時間帯や内容に合わせた表現の自主規制(の違い)は明らかに存在しています。 多少なりともアニメを見比べればその差はわかるので、それらをすべて『アニメ』という枠一つでとらえようとする方が無理があると言えそうです。 個人的には、エロ表現をいくら濃厚にしたところでそれでアニメの面白さが増すわけではないと思っています。 エロいから過激だから売れるという話であれば、一般のAVのように明確な年齢制限を設けてそういうカテゴリーを作ればいい。 すでにそうした成年向けのアニメもあるわけですが、話題性や注目の度合いなどから見ても中高生などをターゲットにした一般のアニメ作品のほうが売れているのが現実でしょう。 冷静になって考えてみるとわかることなのですが、未成年者も見ることのできる一般アニメ作品のほうが、作る側にとってもメリットは大きいはずなのです。 過激な表現が話題を呼ぶとは言っても、過激さだけを売りにしたような作品への評価は必ずしも高くはならないと思います。 結局は需要と供給の話があるため、見ている人を不愉快にさせるような作品はやっぱり評価されないし売れない、だから一時期は話題になることがあっても次はないはず。 とても狭いターゲットに向けたマニア御用達のようなアニメとして確立される可能性はあったとしても、アニメ全体の規制が一度に崩壊するような現象が起こるとは思えません。 (むしろ暴力表現などが話題になった作品の後は、アニメ全体の自主規制が強くなる傾向を感じる。視聴者の声を無視した暴力やエロを、制作者が積極的に打ち出すことは少ないと思われる) この話は、どこか教科書論争にも通じる部分があるような気がします。 教科書の内容について思想的なあれこれ(いわゆる左右の対立)が話題になることがありますが、教科書の記述に関する議論そのものとは別に、子供たちが教科書に記述されたとおりの価値観となるとは限らないわけです。 影響の有無でいえば影響はあるでしょうが、では価値観のすべてを“正しく”するために教科書だけを正しくすれば事足りるのかと考えれば、たぶん違うはずです。 アニメの規制なども同じで、アニメ自体の規制について考えることは無意味ではありませんし、その影響が子供たち未成年者に与える影響もあるでしょうが、それでも規制だけで何か大きな問題が正されてよくなると考えるのもやや安易にすぎるのではないでしょうか。 エロも暴力もない小学校低学年向けの絵本ばかりをアニメにすれば、世の中の情操が清く正しくなるのかと考えれば、たぶんそんなアニメは誰も見ずにもっと別の表現媒体からエロや暴力に関するエッセンスを求めるだけでしょう。 実際、性的な行為を連想させる場面にドキドキするアニメを見ようとするよりも、リアルなアダルト系の小説なりビデオなりを探して手に入れることのほうが圧倒的に簡単な世の中です。(たとえそれが違法であっても) やはり、消費者の選択による需要と供給のバランスのほうが、強制的でかつ曖昧な文言とならざるを得ない法的な規制等に比べて、圧倒的に健全な機能を果たすのではないかと思います。 見せる側を縛るのではなく見る側へ教育することのほうが、より効果的で望ましいのではないかということ。 広義に言う『リテラシー教育』に属する分野だと思いますが、もちろんアニメに限らずメディア全体の中の一つとして、アニメやマンガなどをどのように楽しみ付き合ってゆくのか教えてもらえるほうが、子供にとってもよいのではないでしょうか。 賢くなれるアニメを見せるのではなく、賢いアニメの見方を身に付ける。 本当に青少年のことを考えて憂いるのであるならば、アニメ以外の世の中の悪影響からも自衛するようなすべを身に付けることを教えてこそ、より本質的な対策といえるような気がするのです。 近年、ブームのように繰り返し繰り返しアニメやマンガへの規制が話題になります。 無関心よりは望ましいとも言えそうですが、きちんとその作品の中身を見て適切な議論がなされているのかと考えてみれば、疑問なところも多いのが実情でしょう。 規制を論じる前に、アニメの十本や二十本は見てから意見してください。 そうすれば色々と盛り上がるでしょうに。(笑) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
May 11, 2010 11:50:06 PM
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