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zusi_k

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Jun 7, 2010
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書くことが考えることだとすれば、言葉で書くことは言葉で考えることであり、また言葉を考えることでもあるのでしょう。
自分で書くということはつまり、自分の言葉で考えるということであり、そして自分の言葉を考えることになる・・・と思います。

アニメの感想に限った話でもありませんが、ネット上で文章を扱っていれば、ネット上で見かけた便利な言葉をついつい自分も使いたくなってしまいます。
いわゆるスラングや隠語のたぐいは、ネットの中では自然発生的に広まっていくのかもしれませんが、たしかに上手い語感とニュアンスを伝えやすい言葉だったりします。
短いフレーズで場面ごとに微妙なニュアンスも変わり、お互いに直感的な理解をしやすい言葉。
例えば『いい最終回でした』などという言葉はとても面白い言葉で、別にそれが最終話ではなくても、特に盛り上がってエンディング(ED)に入っていく場面や放送回などを指す言葉だと思いますが、その一言で表現できるニュアンスというものが実に的確だったりするので侮れない表現です。
この表現の背景には、どのようなアニメでも本当の最終回になってしまうと何かしらの不満が残りやすく、それよりは中盤や終盤に突入する段階での盛り上がりのほう素直に楽しめたり感動できたりするという事情もあるのかもしれません。
他にも『神回』や『神曲』などという表現もあって、作画や盛り上がりの点で素晴らしい放送回を神回、オープニング(OP)やエンディング(ED)の楽曲が素晴らしいことを神曲などと表現したりしているようです。
昔の旧日本軍の部隊では一芸に秀でた職人技の人物を『~の神様』などと呼ぶ習慣があったそうですが、なにかにつけて優れたものや他よりも抜きんでているものを“神”と言いたくなるのは、八百万の神様ゆえのお国柄というべきなのでしょうか。

例えば『フラグ』という言葉と考え方もありますね。
一般的には『死亡フラグ』などのように登場人物が死ぬ前の伏線を指す使い方をするのだと思いますが、恋愛に発展するとか陰謀を企むとか、物語の展開に必要な伏線の個所をフラグとして指摘する時にも使われる表現でしょう。
しかし、物語の中でどれがフラグでありどれがフラグではないのかは、脚本や全体の演出をおこなう立場でなければ必ずしも明確には分からないものです。
マクロスにパインサラダというキーワードで死との関連付けが可能なエピソードがあったことを踏まえて、あえてパインケーキを出してきたマクロスFの演出といった例もありますが、普通は明確なフラグを読みとることは簡単ではないはずです。
なぜなら、物語の展開の前に伏線を張って導入していくという手順自体、あまりに基本的なシナリオの進行方法だからです。
戦闘の前に守りたいモノや人に思いをはせたりなにかの約束をしたりするのも、本来的には死亡フラグのためにおこなうわけではなく、戦闘シーンや戦闘後の話のための伏線であるというだけ。
キャラを殺すためにフラグを用意する・・・という手順で行われた演出ならば、あるいは死亡フラグと呼べるのかもしれませんが、それは順序が逆でしょう。
要するに、フラグという捉え方は、因果関係において強固な結びつきを前提とする感覚が生み出す表現ではないかと思えるわけです。
もしそうであるのならば、こういう台詞を言ったから死んだとか、そういうことをやったから死ぬんだとか、物語の流れの一部分をとても単純化してみせる言葉がフラグという表現であるともいえるでしょう。

これがフラグくさい、とかいって想像しながら楽しむことは別にかまわないと思います。
しかし、アニメを見ている途中で「これがフラグに違いない」と決めつけて見てしまうと、想像を裏切られる展開に自分の理解が追いつかなかったり、フラグに違いないと思っていたことが回収されないまま終わった時に不満になりやすいはずです。
そもそも物語の伏線はすべて回収されなければならないのか、あるいは回収されない伏線は果たして“伏線”と呼ぶことが可能なのか、そうした“そもそも論”もありますがそれはともかく。
時系列においてフラグという見方をすることは、全体の中での一部分(の因果関係)をうまく表現することには向いていても、必ずしも全体の物語を理解し楽しむことに適しているとは限らないと思うわけです。
二度目以降に見て「あぁ~これが後でこうつながるのね」「あっ!ちゃんとここで台詞に出ていた」などと気がつくような場合は、もちろんちょっと話が違います。
自分が理解した伏線と出来事の関係をうまく表現することに『フラグ』という言葉を使うことは便利なのですが、しかし、それを使って理解しようとすれば弊害も生まれるのではないか。
便利な言葉だけれども、使うことによってその便利さに自分が使われてしまう。
そういうこともあるのではないかと、考えてしまうわけですよ。

神回だ、と一言だけで自分の評価を書いてしまうよりも、その回のどこが“神”と感じられるのかを書くことが感想なのではないか。
便利な言葉を便利に組み合わせてみても、それは仲間うちで感覚を共有することはできても、自分が何を思ってどう感じたのかが残らない気がするのです。
コミュニケーションのために書くコメントであればそれもいいのですが、書き捨ての感覚的な言葉に頼った感想は、後で振り返った時に自分でも意味が分からなくなることさえあるのではないでしょうか。
アニメという“言葉”ではない表現を見て、それを自分で言葉に変換してやる。
つまり、自分で考えて感想として書く、それも自分の言葉でおこなう。
そこに価値や意味がある・・・という考え方もあっていいでしょう。
たかがアニメに感想を書いている、のではなくて。
アニメであっても、それを感想として書くことで自分の言葉や考え方を身につける訓練ともなりえる、そこの意味はきちんと評価されるべきだと考えます。

もっと気楽に、感じたことをメモしておくような感覚の感想があっても、それはそれでいいんですけどね。
価値の低いものであるというアニメに対しての思い込みに対して、さらにアニメの感想というのはもっと軽くて意味の無いものであるというような認識がもしもあれば、そうしたものばかりではないと思うわけです。
そして、アニメの感想に価値を持たせるためには、自覚的できちんと使い分けた書き方やその内容が必要ではないかとも思うわけで、この文章をみてそういうことをちょっと考えてもらえれば嬉しいものです。





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Last updated  Jun 7, 2010 11:33:13 PM
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