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zusi_k

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Jun 21, 2010
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いやぁ、アニメですねぇ。
今の日本の“アニメ”がぎゅうぎゅうに詰め込まれた、アニメ。
第一期の『コードギアス 反逆のルルーシュ』で二十五話、第二期の『コードギアス 反逆のルルーシュR2』で二十五話。合計五十話を感想の対象としておきます。
外伝的視点によるものや並行世界的なものまで含めた関連マンガや小説なども出ているようですが、オリジナルアニメのアニメ原作ということでもあり、アニメ本編の内容からの推測のみを記述の対象として取り扱うつもりです。



☆全体を通して(A)

※総論
悪趣味なアニメ。
一言でいうなら、そうとしか表現のしようがありません。
エロで、グロで、暴力的で、子供っぽい。
それらをひっくるめて「楽しめるもの」にまとめ上げてあるという、ある意味では『一つの終着点的なアニメ』だろうと思います。
それがアニメ本流としての進化の到着点だとは思えないまでも、分岐点としての一つは極めた感があるなぁと。(これを本流と言いきってしまうのはちょっとかなしいので、あえてそう思いたい)
私が今までに見たアニメの中でもエンターテイメントとしては最高水準に位置するアニメだと言えますので、アニメの評価そのものとしては非常に高いのですが、いかんせん中身をよく考えてみると子供っぽすぎる。
そして、そういう子供っぽさがストレートに出ているからこそ、アニメとしては面白く仕上がっている。
アニメという表現方法と楽しみ方が持つ“悪趣味”なところが、洗練された形で表れている作品だと思えるのです。

で、それらを踏まえて最初に断っておくと、個人的にはすごく楽しめた作品でもあるんですよね。
好き嫌いでいえば、明らかに好き。
うわぁこんな悪趣味なのを好きだと言わされている(言わざるをえない)よ・・・という敗北感に、奇妙に納得する気持ちと救いの無い気持ちを味わわされているという屈折した気分。
もっと純粋に好きとか嫌いとか、素直に色分けできる感想を持てる人もいると思いますが、そういう人がうらやましいというか・・・。
少なくとも私自身は、こういう作品を見終えて屈折せずに感想を書けるという人ではない、ということです。(苦笑)


※第一期と第二期に分かれている点
放送時の形態として第一期と第二期までに間が空き、それによって第二期のスタートで新規視聴者のためにもう一度基本設定のおさらいをおこない、同時に継続視聴者のためにある程度突飛なこと(ロロの登場ほか)をしてみせるというこの手法は、あとですべてをまとめて見る人にとってはかなり違和感があるはず。
続けて見れば、R2の第一話や第二話などは全体のストーリーとしての必要性があるのか疑問に思えなくもないです。
(シャルル皇帝のギアスが使われることで成立していたこの再スタートですが、後のギアスキャンセラーを区画ごとに使っていくという場面を考えれば、学園関係者すべての記憶消去までキャンセルするのはリスクが大きすぎるのではないかと思えます。また、終盤に明かされるルルーシュ達への安全確保という考えからは、C.C.をおびき出す餌にするため記憶を消して泳がせるという行為自体が矛盾していそう)
リアルタイムで見る人よりも後から見る人のほうが最終的には多くなるのでは?と思えますが、それよりなにより「アニメは放送時とその直後ですべてが決まる」と考えているという、制作サイドの考えの表れと解釈するべきでしょうか。
まぁそれでも全体を通して尺が足らなかったとは感じませんでしたので、一期と二期に分割されているのが当然になりつつあるような最近の流れからすると、2クール以上のアニメの作られ方としては違和感を持つほうがおかしいと受け入れざるをえないのかも。


※不幸の大安売り
何度も気になったのは、とにかく主要キャラに対しては「究極のサドか際限ないマゾか」っていうぐらいに不幸や不運を与えて、それをきっかけに物語を動かしてゆく点。
人は怨恨でこそ動く・・・とはいうものの、不幸や不遇を抱え込んで恨みや怒りを行動の動機や原動力としているキャラ達ばかりで、第一期の途中ですでに食傷気味になりました。
守るためと言っては不幸を連鎖させて撒き散らしてゆくという主人公ルルーシュを描いている以上は避けられない展開ともいえそうですが、それ以前に不幸や不満を個人的にも抱え込んだキャラが多すぎ。
もう少し前向きな未来や希望を求めて行動したキャラがいてもよかったのではないかと思えますが、そういうキャラがいない(あえて言えばR2の天子ぐらいか)のがコードギアスというアニメだ、ということでしょうかね。

自らの逆境に立ち向かってゆく姿こそが力強く美しいと、そういえば言えなくもないのですが、キャラをもちあげては不幸に落として楽しんでいるだけじゃないか?とも思えるわけで。
衝撃的な展開の連続といえば聞こえはいいのですが、もはや不幸や不運を描くことでしかインパクトを与えるすべを失った脚本でしかない、とも言えそうで。
特に前半の山場であるユーフェミアの最後については、そこまでキャラを貶めなければシナリオが本当に成立しえなかったのか、さすがに気分が悪くなりました。
確信的にギアスで虐殺の命令を出させられたのではなく、ルルーシュの軽口と油断によって不幸にも“たまたま”狂気に突き落とされ、それを自分では意識することないまま死んでいくという・・・。
悲しみや苦しみをキャラに与える展開が悪いとは言いませんが、それにしたってキャラに対する愛情というものが感じられないし、まるでキャラを虐めることで快感を得ているようにさえ見えました。
それか逆に、自分がそのキャラになった気分で恍惚感を味わうのが目的とか?(汗)

悲劇や不幸を楽しめることもフィクションのよさではありますが、それをアニメ的な見せ方と合わせてかっこよく勢いに乗せて物語を進めていくところに、上手いなぁと思うと同時に悪趣味さを感じるというわけですよ。


※メディアに対する不信感、あるいは達観
ディートハルトというキャラが一手に引き受けていたようなメディア対策についての描写の仕方ですが、よくこんな内容でTVに流せたなぁと繰り返し思いました。
情報操作に踊らされる馬鹿な(思考停止した)視聴者をクドイぐらいに繰り返し描いていて、映像さえ見せておけば大衆なんて誘導するのも騙すのも簡単だという、テレビや映像メディアを根本的に否定しているような扱いが何度もでてきています。
映像さえあれば印象なんてどうとでも操作できる、だから世論も真実もどうとでもなる・・・なんて報道スタッフのキャラに言わせているアニメをテレビで流す。
その度胸だけは大したものです。
建前だけではないメディアの危険性を描いているとも言えばそうなのかもしれませんが、それにしても見ている人を見下した姿勢が過ぎる。
それもTBS系列という、報道を売り物にしていた過去を持ち、それが今は崩れ去ったともいわれる放送局のアニメで、です。
アニメの中で情報操作するメディアを描いている暇があるのなら、もっと他にする事があるだろ~と言いたくなるのは、そりゃやむをえない意見でしょうよ。

昔のアニメやマンガの中に登場するジャーナリストといえば、それなりに正義感や使命感をもったキャラ設定だったかと思うのですが、ミレイ会長のような『女子アナ』の出来そこない(会長自身のキャラを批判しているのではないです、念のため)を登場させているというとこら辺に、現在のメディア不信の根深さを感じてしまいます。
そういうキャラの立ち位置を容認してしまえるアニメがテレビで問題なく放送できてしまえるというとこに、ですね。
せめて現場で起きている“事実”をありのまま伝えようとする報道関係者を、一人でも登場させてほしかった。
映像で人々を操ることの容易さばかりを描き、結果的に大衆の愚かさを簡単に扱いすぎていたように思えて、それはとても残念でした。
(メディアに簡単に操作されてしまう大衆を描くのは、ガンダムSEEDやダブルオーなどでも見られる傾向わけで、私はそれにも批判的な考えを持っています)

それとも、メディアに流される映像を懐疑的に見て“自分で判断できる人々を大衆として描く”ことのほうが、テレビ的には避けたいとか?(苦笑)





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Last updated  Jun 21, 2010 11:10:35 PM
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