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zusi_k

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Jun 26, 2010
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ウィキペディアの登場人物リストの順番を参考に、それぞれのキャラについて思ったことなどを。
(省略したりするキャラもあります)



☆登場人物(A)

※ルルーシュ・ランペルージ
作品の子供っぽさを代表する筆頭は、もちろん主人公のルルーシュでしょう。
いわゆる悪役を主人公にもってくるということで、正義の主人公を描くことが多いアニメとしては珍しいタイプ。
・・・とか言っても最後は結局「いいことをして終わりました」という陳腐なところにたどりついてしまうのが、公共のメディアたるテレビで放送されるアニメの限界なのか。
自己顕示欲の強いナルシスト。自分の決めた美学に酔って、自分の決めたことや望むことが叶わなければ“ならない”と強く思いこんで行動するという、まさに自己中心的な性格。
相手を批判する理屈の大半がそのまま自分自身の行動にも当てはまってしまうという究極の自己矛盾を、その場ごとの盛り上がりの演出や声優の演技力で押し切ってしまうという力技のキャラでもある。(笑)

R2の21話(46話)で両親を殺したことにより、ルルーシュ個人の物語は一つの決着をむかえたと理解しています。
よって、それ以降の最終話までは、コードギアスというアニメの決着をつけるための流れでしかなく、ある意味では後日談を本編に組み込んだようにさえ感じられました。

で、46話のネタばれをもとに考えてみると、親子の対話不足が招いた親子喧嘩が事の真相といってもいいでしょう。
しかも、両親を殺すことでしか決着をつけることのできないところまで追い込んでいったのは、父と子のお互いの行動だったというわけで、呆気ないとも衝撃的ともいえる不幸な結末。
特に印象深かったのが、ルルーシュが何度もシャルルを批判する時に使っていた「人を駒のように使う」という点でしたね。
目も足も不自由な妹を駒のように利用することが罪ならば、目も足も不自由でない人間をギアスや状況的な脅迫(それ以外の選択肢を潰す)で利用することは罪ではないのか。
巨悪を倒すためには悪の道でも進む・・・みたいなことも言っていましたが、巨悪と悪の程度の差はルルーシュ個人の主観的なものにすぎなく、巻き込まれる部外者にとってみればどちらもはた迷惑なだけ。
自分のものを守るためには他人を傷つけてもかまわないが、他人から自分のものを傷つけられると怒るし復讐するという、駄々っ子の理屈ですわな。
そもそも貴族制度のある階級社会に、それも皇族として生まれるということ自体が「利用価値のある駒」として生きてゆくしかない道なわけで、特権に義務が付きまとうのは貴族制度の根本でしょうに。
皇帝(ブリタニア帝国)を倒すことでしか妹が生きる場所を作れないという考えは、46話で実はルルーシュの思い込みにしかすぎなかったことが明かされます。(むしろ過保護だったという・・・)
さらに最後の妹との対決では、いままで進んできた「悪の道」ゆえに妹に拒否されるという絶望が待ち受ける、不幸といえばたしかに不幸な物語なわけですが、いやもうホント自業自得。
一つ一つ障害を乗り越え敵を倒していき、窮地に陥ってはそれを脱出し、負けても絶望しても立ち上がって挑んでいったその結果にこれだけ報われない“真実”を主人公に突きつけるとは、キャラに対してどれだけサドなシナリオなんだか。(笑)

これだけ高笑いの似合うキャラとしては、その顔や服装(ゼロとしてのコスプレも/爆笑)などをひっくるめて、アニメ的で良い絵になっていたと思います。率直に言って名キャラ。
学園生活パートでのドタバタっぷりも悪くはありませんでしたが、個人的には戦場での作戦指揮の雰囲気のほうが好きでした。
ノリノリで勝ちを確信した時や作戦が成功した時に高笑いしている嬉しそうな姿を見るにつけ、あぁ~ナルシストとして自己満足の極致にいるんだろうなぁと、ほほえましく(生あたたかい種類の視線で)思えたものです。

最後のゼロレクイエムという計画も、世界を平和にするための計画といえばもっともらしいですが、世界で最高の権力と責任を負って平和を保つための行動を果たし続ける道よりも、いままで行ってきた悪の道のまま消えてゆく「悪い自分に決着をつける」というやり遂げた満足感と「それが本当は一番いい方法だ」という知的な満足感、それに「自己犠牲による恍惚感」のほうを選んだようにみえるわけです。
誰に理解されなくてもいい、自分が正しいと思えば正しいんだ・・・という、自己中心的ナルシストのかがみですわな。
友情という名のギアスで縛ったスザクという“駒”があってこその最後の策だったわけですが、私としてはルルーシュらしい最後として納得できたし、よかったと思いました。
しいて言えば、死ぬ直前でゼロレクイエムの真相が妹にばれたのが、ルルーシュ最大の失敗だったでしょうか。
そこは隠したままでないと、あるいはカレンみたいに直観的に気付かれるのでなければ、なんだか画竜点睛を欠くといった感じに思えました。
どこか最後には抜けたことをやらかす・・・という風に見えれば、あるいは、もっともルルーシュ的だったともいえそうですが。(やることや言うことは大きかったけど、必ずしも万能無欠ではなかった点では人間味溢れる人物でもあった)

結論的には、楽しめたアニメの主人公としては、文句なしに五本の指に入る楽しいキャラでした。
掲げる理屈の胡散臭さや精神的な子供っぽさなどの気になる点も多くありましたが、それらも含めてキャラの魅力だったということでしょう。
二人目はもういらないけど・・・。
(まぁ、これだけ個性が強いと、類型的なキャラだというだけでパクリといわれそう)


※枢木スザク《くるるぎ》
正義の正統派主人公タイプに見えつつも、ある意味、このアニメの一番悪趣味なところを背負い続けたキャラだと私は思っています。
とにかく死に場所を求める人物で、自己犠牲が尊い行為だと信じている正義の人・・・というよりは、自分が死ぬために自己犠牲となる状況を求めているようなところがありますね。
“自己犠牲”というのは後付けの理由みたいな感じ。
自分の決めたことで自分を縛るのが好きという、一人SMな人。(笑)
普通のアニメならば、幼少期の友情や思い出というのはつらい局面での支えや乗り越える糧(かて)となるのですが、ルルーシュやナナリーとすごした思い出が常にスザクを縛る結果につながるということで、本当に救いの無いようなシナリオが好きなんだなぁとしみじみ思わされます。
父殺しの不幸よりも、幸せな思い出のほうが結果的にはスザクを追い詰めていったように見えましたから。

ルルーシュの自分勝手な理屈に対しては、ほぼ全ての場面でスザクの理屈のほうが正論だったと思います。
しかも、ルルーシュはそれに的確な反論を返せていないことのほうが多い。
自分(と妹)が幸せになるための理想を求めるルルーシュと、他人(日本人)が幸せになるための理想を求めるスザクとの違いが見て取れます。
ところが、じゃあなぜ日本の自治を取り戻して日本人を救おうと思ったのか?という点では、父を殺した贖罪という後ろ向きな原点を持つスザクであり、その意味ではルルーシュのほうが前向きではある。
前向きに間違った方向へ突き進むルルーシュと、後ろ向きに正論を求め続けるスザク。
この構図がキャラとしての深みになっていると見るか、それとも分裂症気味な結果を招いていると見るか・・・。
第一期のスザクには共感も理解もできていたのですが、第二期の中盤以降は、私にはよく分からないキャラとなってゆきました。

特に謎だったのが、ギアスという能力についてのスザクの考え方がまったく不明だった点です。
“生きろ”という自分に掛けられたギアスに対して、ルルーシュに怒りを向け、生きるためにとった行動(軍紀違反や大量虐殺)に悩み苦しむわけですが、それほど苦しいならばギアスから解放されたいとは思わなかったのでしょうか。
ギアスキャンセラーという能力が明らかになった後、なぜそれを自分に使ってもらうようにしなかったのか・・・。
終盤は“生きろ”というギアスの命令を“呪い”と表現しつつも、強敵たちと戦ううえでは武器(一種の特殊技能)として使いこなしていましたが、どこか唐突に切り替わったようにも見えました。
えっ?いつのまにそれを受け入れたの??という。

同様にもう一つ謎だったのが、結局はルルーシュとの友情をとったように見える終盤の行動についてです。
友情があったから協力関係を受け入れたのか、皇帝となったルルーシュだから命令に従うことにしたのか、ゼロレクイエムに賛同したから全てに“自分の手で”決着をつけるために行動したのか。
いまいち明確に語られていないままだったのが、残念に思えました。
あれだけ強くルルーシュを否定していた時の理屈、人の影に隠れて人を操るということを、結局は操られる役目として引き受けていたわけだし。(ゼロレクイエム後はゼロという役目を果たすだけの生き方しかない)
複合的な要因が重なってああなったんだよ・・・と言ってしまえば一番妥当なのですが、そんなことを言い出せば全てのことには複合的な要因が関わるので、ほとんどのことに意味がなくなってしまうのがツライところです。
全てのことが原因につながるというのは、理由があって行動して結果につながるという因果関係の否定につながるわけで、キャラの心理や行動を考えることの無意味さを言ってるだけになりかねないですから。

愛する人を失い、裏切り者と言われ、友を失い、それで最後に得たものが自らの存在の消滅。
“ゼロ”という人物になることで自己犠牲の望みは果たされたわけですが、それはルルーシュが用意したゼロという名のギアスに掛っただけだとも言えるでしょう。
自分で選んだ道なのかもしれませんが、なにかに縛られ、用意された役割を果たすことでしか道を見つけられない、どこか不幸なものを感じてしまう(そこに自分から嬉々として飛びこんでいく)ところが「主人公になりきれないキャラ」というものかもしれません。
その意味では、デバイサーと呼んでパーツとしての役割だけを期待し続けたロイド伯爵こそが、本質的には一番の理解者で理想の上司だったのかも・・・スザクにとっては。

作品の中で正論を述べる役割を担っているのが、こういう後ろ向きで陰の濃いキャラだというところもまた、悪趣味に感じるわけです。
言葉と行動の微妙なギャップがことごとく「痛い正義」を見せつけられている感じで、普通なら正義として応援したくなる役回りのはずなのにどこか好きになれない、それでいて戦闘場面では一番見せ場を作ってくれるキャラであるという。
ほんとにもう、主要なキャラをもうちょっと素直に作ってくれよ~って言いたくなります。(苦笑)





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Last updated  Jun 26, 2010 10:17:35 PM
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