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zusi_k

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Sep 7, 2010
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最初にまず“百点満点の答え”があって、それを読み解いて解釈するのがアニメなどの感想か?と考えると、少なからぬ違和感を覚えます。
しかし、いざ感想を書こうとして作品の解釈を自分なりに考えようとする時、「自分の解釈≒作者の意図していた(であろう)解釈」という前提はある程度意識しなければ、何を書いても間違った解釈とそれにもとづく感想ということになってしまう。
間違った解釈で何を感じてどう考えてもそれは間違った感想になりかねないわけで、じゃあそんな間違ったものならば書いても意味が無い・・・とまで行き着いてしまうかもしれません。
ですが、正解があってそれに対して間違いがある、と考えるのならば。
そもそも、その正解となるべき“百点満点の答え”というものが本当にあるのだろうか??というところから、一度は考えてみてもいいのではないかと思います。

この場合、明らかに作中で表現された事実関係とは異なる事実誤認は“間違った解釈”とは区別するべきです。
登場もしていないキャラを登場しているかのように言う人はいないと思いますが、キャラの台詞や行動を別の作品とごっちゃにして勘違いするようなことは珍しくありません。
ラノベやマンガならば気になった個所を探して調べるのも比較的容易なのですが、アニメの場合は特に、その場面を正確に探し出して確認するのはDVDなどが手元にあったとしても面倒です。
見た直後の感想であっても逐一の台詞まで一言一句正しく書き起こすとなれば気が遠くなりそうな手間ですが、場合によっては数年前に見たアニメの感想を書いたりすることもありえるのですから、誰と誰が戦ったとか、何度かあった戦いの場面のどこでキャラが死んだのだとか、意外と間違えやすいものです。
五十話以上あるような長い作品の場合なら、どのタイミングでキャラが登場していたのか、途中参加したキャラの登場回を勘違いして思い込んでいるようなこともあるでしょう。
誰がどう見ても画像で確認すれば間違いとすぐにわかるような間違いは、解釈による間違いとは話が別。

で、ファン同士の解釈を巡る論争などにはありがちでしょうが、どちらの解釈が正しいのか?が話題になることがあります。
この時、正しさの基準となるのは、例えば監督の意図するメッセージにどちらがより近いのか、ということも多いのではないかと思います。
ガンダムという作品で考えれば、原作者の一人であり多くのガンダムシリーズの監督も務める富野さんの意図を巡って、アニメの中のあのシーンはどう解釈すべきか、テーマをどう理解すべきかなどと言ったことが話題となるわけですね。
ただ、こういうタイプの論争をはたから見ていると、アニメの作品だけにとどまらず雑誌や書籍などの発言なども含めた情報が“前提”として飛び交い、そこまで興味のない人にとってみれば本当にどうでもいいような些細な論点にこだわったり、やたらと抽象的になっていたりと、解釈の正しさを言いたいのかファンであることの入れ込みようや知識を披露して自慢したいだけなのか分からない状態に見えることもあります。
そういうことも含めて楽しむ楽しみ方もファンならではの行為だ・・・とも、もちろん言えます。
しかし、正しい解釈以外は全て間違った解釈で意味が無いと考えるような、もっと言えば、正しい解釈を言ったファンのほうが偉くて間違ったファンはダメなファンであるかのように考えるのであれば、やはりおかしいのではないかということです。

解釈の正しさとは何によって決まるのか、という問題だと言い変えることもできるでしょう。
有名な監督の作品などにはよく見られることですが、そういった作品では注目の作品と(まして劇場版アニメとかは特に)なりがちだし、宣伝のために監督のインタビューなどがあちこちに載ったりもして、作品に込められたメッセージというものが目に付きやすいんですよね。
作品の意図が一言や二言のキーワードで語れるものならば、最初からアニメじゃなくて言葉だけでいいじゃない・・・などとヒネクレて考えてしまいたくもなりますが、それはともかく。
メッセージ性を気にしながら見ると、いちいち場面ごとの解釈にそのメッセージを当てはめたくなって、アニメそのものから素直に感じたり気付いたりすることが難しくなる可能性があります。
反戦などといった政治性の強いメッセージなどを事前に知っていたりすると、これはもう全ての事柄について反戦かそうではないかが気になったり、どうでもいいようなシーンにこそ寓話性(隠された意図)を読みとってしまうようなミスリードが起こりえるはず。
つまり、アニメを見て何を解釈するのかを見ている私たちが選べず、正しいメッセージを読みとるための「正しい解釈をアニメに当てはめようとする」ことで自分の解釈を組み立てるという、非常に窮屈な見方をしてしまうこともあるわけです。

アニメというのは、映像や音楽の組み合わせで感じる部分もあれば、キャラの台詞やナレーションなどから明確な言葉として理屈を考えたりする部分もあります。
また、一つの場面だけを抜き出して考える場合と、全体の流れの中で一つの場面を考える場合でも、異なった感じ方や考え方ができるものです。
ありきたりな表現ですが、アニメの解釈は見る人の数だけある、というのが一番模範的な考え方だろうとは思います。
作る側の狙いがどうあれ、見た自分が感じたことや考えたことは、アニメを見ることで得られたモノなわけで、それをどう解釈したのかという部分こそが『自分の感想』として重要なのではないかと、私は考えます。
監督はああ言ってたけど自分はこう思う、ならそれでいい。
一つのアニメに一つの答えが用意されていて、その答えに近づくことが必要ならば、あるいは百点満点に近い正解を得ることが必要であれば、複合的で曖昧なアニメなどを見るよりも答えだけをそのまま知ろうとしたほうが効率はいいです。
いわゆる、映画のパンフレットを先に読んだら映画を見る必要が無かった・・・みたいな話になってしまうということ。
正解があると信じて正解だけを知りたいのならばそれでもいいのですが、また作者の正しい意図を知りたいという興味や欲求までも否定するものではありませんが、それにしても“正しい解釈”を知りたいのではなくアニメを見たいだけなんだ!という見方は、当然に尊重されるべきだと思います。

また、自分の解釈と他の人の解釈の違いというものは、違うことを個性の違いとして楽しんだり、なぜ違うのかを論じて交流したりすることに使うのが望ましく、自分の解釈の正しさを主張するために他を安易に否定したり馬鹿にしたりするべきではないでしょう。
好きだからこそ譲れないという思いが解釈を巡る意見対立をヒートアップさせがちなのかもしれませんが、ファン同士の対立が激しいアニメに対しては、ファン以外の人は関わりたくないと思ってしまうこともあるでしょうから、本当にそのアニメが好きならば必要以上の対立は避けておいた方がいいと思います。
ネット上では“荒らし”などの行為に発展してしまうこともあるため、強くそれは思います。
まっ、世の中は広いですから、会話の通じない相手というのは、アニメのファンであるかどうかに関わらずに存在するものですけども。


事前の情報は最小限にして、自分で見てから興味を持ったアニメについてはそれについて調べてみる。
そういうぐらいの考えでもいいのかもしれません。
調べる気になれば、ネットで色々な情報が手に入る今です。
そして、だからこそ唯一絶対の正しい解釈こそ価値があると考えるのか、それとも多様性の中で自分なりの解釈にこそ自分らしさとしての価値があると考えるのか、それもまた見る人の考え方次第ということ。
人はそれぞれだから考え方もそれぞれ、だから正しい解釈もそれぞれでいい・・・という前に、自分なりに“正しい解釈”とはどういう意味を持つ言葉として考えるのか、アニメの感想を書く上で一度は意識してみてもいいんじゃないかな、というお話でした。

個人的には、正しい解釈以外は全て間違いだから意味が無い、という考え方は好きではありません。
ましてそれが、自分の正しい解釈以外は~となると、どうにもこうにも。(苦笑)





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Last updated  Sep 7, 2010 08:47:57 PM
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