文章が気楽に綴れること、
これも、主権者を育てる道ではないでしょうか。
3年生を受け持った時のことです。初めての作文を書いてもらいました。
題は、『3年生になって』でした。
40人ほどのクラスでしたが、
主語と述語の対応ができてない文を書いた子が数人いました。
それは、
「きのう、いえに、かえって、おかあさんにはなしたことは、
『ぼくのともだちの6年生のKくんという人の先生になってよかった』とおもいます。」というような文でした。
この主述のはっきりしない文は、どうして生まれるのでしょうか。
それは、主述の対応の指導が十分されてこなかったからなのですね。
* 今の国語教育では、この主語・述語の指導が、まだまだ、弱いのです。
児童言語研究会では、活用・品詞の暗記など中心の文法ではなく、
この事を含めた文法指導の大切さを50年も前から提起してきました。
どうして、そうなっているかと言いますと、一つには、
話し言葉と書き言葉の違いが、認識されてないからなのですね。
話し言葉と、書き言葉の身に付け方は、違いますね。
話し言葉は、それなりに子どもは身に付けます。
ところが、書き言葉は、指導がないと、上記のようになって、しまいますね。
* 良く、「話すように書きなさい」という指示が、見受けられますが、
そのように書いたら、文章になりませんね。
書き言葉は、書き言葉の記述の学習があるのですね。
それを小学校の1年生で、指導しておくと、
文章書きは、楽にできるようになります。
それは、一文をちゃんと書けるようにすることですね。
と言う事は、主語・述語意識を持って、かけるようにするということですね。
その為に、文で話すの指導を、まず、させます。
この指導には、子供達は、喜んで、のってやります。
ここでは、主語と述語を必ず入れて、話させるのです。
この主語と述語を入れた形で話をさせてから、
それを文に、書かせます。
この過程を通ると、子どもは、いくらでも、文を綴る事が出来るようになります。
つまり、話すから、書くという過程を経た作文教育です。
(これは、G社の教科書に載るようになりました。)
文章は、文・文・文・文・文・・・・・・・できいますから、
一文が綴れるようになりますと、
誰にでも、書けるようになるのですね。
以上のこと、もっと、具体的にお知りになりたい方は、
下記を、ご参照下さい。
2005.09.28
http://plaza.rakuten.co.jp/zyx1830/diary/200509280000/
http://plaza.rakuten.co.jp/zyx1830/diary/200509300000/ 2005.09.30
誰もが書けた作文教育 (4)・・・文ちゃん人形の導入 |
2005.09.30
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*** 『小学生の作文教育』(明治図書)1・2・3・/4・5・6年
(読売教育賞賞外優秀賞 受賞)
波多野完治さんから、
「新しい作文教育の提案です」と言うコトバを戴きました。
残念ですが、絶版です。
しかし、アマゾンの古書で売られています。
公立図書館には、あると思います。
出版社は、再刊をすると言っているのですが、
なかなか、動き出していません。
* 下記にも、ありました。(net販売です)
『小学生の作文教育』
小林喜三男・田村利樹編、明治図書、昭58、2冊
渥美書房 7,350円