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星の国から星の街へ(旧 ヴァン・ノアール)

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2022.05.21
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 先週、2017年に「National Gallery Singapore」で開催された「オルセー展」について書きましたが、その6年前に「National Museum Singapore」で「Drems Reality」と題した「オルセー展」がありました。

    
​カタログの表紙を飾る「ドガの踊り子」と一押し展示「ゴッホの星月夜」

​ 
「アレクサンドル・カヴァネル」の「ヴィーナスの誕生」、「セザンヌ」の「トランプをする人たち」や「モネ」や「ルノワール」等の絵画が贅沢に展示される中、ゴッホ(1853-1890)の
「星月夜」が「
一押しの絵」として展示されました。一押しと単純に思ったのはシンガポールで初めて絵の前にガラス板が置かれていて、私の記憶では後にも先にも絵の前に設置されたガラス板を見たのはこの一枚だけです。


​​1888年 「オルセー見学ガイド」から。

 ​この絵についてゴッホは弟テオへの手紙に「ある晩、私は散歩していた。深い青色の空のあちこちに雲があった。コバルトブルーよりも深い明るく銀河のような青味がかった白さのような雲がある。その青い深みに星々が明るく宝石のように輝いている」と書き記しています。確かにこの絵の前に立った時に星の輝きに圧倒されたような感覚を今でも覚えています。「週刊 美術館 ゴッホ」には「星をちりばめた壮大な天空、そこにゴッホは神と永遠がいるのを見た」と書かれています。

 この絵がゴッホの願いに応じた「ゴーギャン」がアルルにやって来る1888年10月の前に描かれたのか後に描かれたのかは分かりませんが、ゴーギャンと違いあくまでもスケッチを大切にし「自由な発想も色彩の使い方も、全ては現実の風景の写生があってこそ生み出すことが出来るものだ」というゴッホの絵画に対する執念を感じさせる渾身の作品なのかなと思います。想像力を駆使して描き現実の風景や人物はむしろ必要としなかったゴーギャンとの埋めることが出来ない溝のような物が最初からあったことになります。


 
1889-1890 「シエスタ(昼寝)ミレーの絵を基に)」ネットの画像から。

 1888年10月から始めたゴーギャンとの共同生活はその2か月後にゴッホの「耳切り事件」が起きて終わりをつげます。1889年にはサン=レミの「療養所(精神病院)」に入る事を自ら決め、その後精神科医の「ガシェ」がいるオヴェールへと移り住みます。「シエスタ」はサン=レミでミレーの模写が21枚以上残っていることから、そこで描かれた一枚かなと思います。「週刊 美術館 ゴッホ」には「悲しみと深い孤独を描くために遠くまで行く必要はない・・そしてゴッホは毎日麦畑をさまよい歩いた」とあります。

 ゴッホは生涯を通して「農民画家」と呼ばれた「ミレー〈1814-1875)」を賛美し「私にとってこの上なく現代的な画家と言えば、マネではなくミレーだ。彼は多くの人達に限りなく大きな展望を開いてくれた」と書いています。ミレーの絵を基に描いた「シエスタ」からはゴッホがサン=レミで束の間の心の平安を取り戻したように見えます。個人的には2006年「オルセー美術館」でこの絵の前に立ち「こんな風に気持ちよく昼寝を楽しみたいものだ・・」と思いカメラを向けると電池切れになって、それまでの写真が全て消失してしまったという思い出もある一枚です。

 「アイリス」や「アーモンドの木」と同じようにこの「シエスタ」を見ると、どうしてもゴッホがこの絵を描いた同じ年に自殺をするほど人生に絶望していたとは信じがたく、事故説又は他殺説にどうしても気持ちが傾いてしまいます・・。


 


 
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最終更新日  2023.04.13 15:48:30
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