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2017年に「National Gallery Singapore」で開催された「オルセー展」で2点の「Berthe
Morisot(ベルト・モリゾ 1841-1895)」の絵が展示されました。 「ゆりかご」 1872年 1点目はベルトの姉で結婚、出産のため画家の道を断念した「エドマ」と彼女の2人目の娘「ブランシェ」を描いた作品です。ブランシェをヴェールで包み存在感を薄めることによってエドマの母性や存在感がより強調されていると説明がありますが、エドマの画家の道を諦めた心の葛藤に焦点を当てているのかもしれません。そしてヴェールに包まれることによって母親の子に対する愛情が集約され、葛藤を抱えながら幸福な結婚生活を送る姉へのエールのようにも見えます。この絵はパリ「落選展」から名前を変えた「第一回印象派展(1874年開催) 」に出品され好評を得ています。 ベルトはこの絵を描いた2年後に「マネ」の弟「ウージェーヌ・マネ」と結婚しています。マネと言えば1863年初の「落選展」で酷評を受けた「草上の昼食」や「オランピア(共に1863年制作)」がすぐ思い浮かびますが、個人的には「すみれの花束をつけたベルト・モリゾ(1872年)」が気に入っています。 マネ 1872年 この絵の展示はなく会場では雑誌の中で紹介されていました。 この絵を初めて見た時、単純に「随分綺麗な人だなぁ~」と思ったのを覚えています。そして目力の強さが印象的でした。ベルトの義理の甥の「ポール・ヴァレリー」が「マネの作品ではベルト・モリゾの肖像画が一番だ・・色彩の奇妙な調和と、その色が持つ力の不均衡、何故かとても悲劇的な表情と、昔日の髪型の儚く些細なディテールの対立・・。」と絶賛しています。 絵画の師匠でもあったマネの絵のモデルも務め、2人は師弟以上の関係があったのではと言われています。マネの結婚については「ドガ」が描いた「マネとマネ夫人(1868-69)」からベルトとマネが親密だった時にはマネは既に既婚者だったので、敬愛する人の弟と結婚したことに妙に納得がいきます。 当時の風習としては結婚して子供が生まれれば「自分の道」を諦めるのは一般的だったようですが、ベルトは夫の支えもあり結婚の4年後に長女が生まれた後も順調に絵画制作を続けたようです。 「ブーケ」 1894年 展示の2点目はベルトが亡くなる一年前の作品でした。「スミレ~」の絵に描かれた強い意思を持つ目力を貫き、生涯家族や友人達の肖像画を描き続けたようです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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