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カテゴリ:広島東洋カープ
『ウッチー・ベッチー話題も主役となったのはコング』
それでは今回は99年のドラフト指名選手を振り返ってみたいと思います。 1巡目 河内貴哉 投手 国学院久我山高 関東地区 計9pt 中日と近鉄との3球団競合の末、達川監督が引き当てた超大型左腕といわれた逸材、達川監督は何とこの高卒左腕を一年目から一軍で起用し、10試合に登板させました。 それ以降はフォーム変更を繰り返して中々一軍に定着できずにきた5年目、故障者も出てチャンスを掴み、前半戦は好不調の波がありながらも151キロの直球を投げるなどしてオールスターに出場したものの、後半戦は140キロにも届かなくなり打ち込まれる試合が増えてしまい、8勝をあげたものの貢献したとはお世辞にも言えない内容に終わりました。 翌年は2500球投げ込み方針に従ったもののフォームを崩してしまい、ここから狂ってしまいました。 それ以降はセットアッパーとして期待されたことがあったものの、左肩を故障して一時期育成選手となるも再度復活して現在では左のワンポイントの役割を担っています。 しかし、あれだけのポテンシャルと魅力的な直球を投げていた頃を知っている者としては正直寂しく、残念な印象が拭えないところです。 ポイントは15年間在籍して9ptと1巡目指名としてはやはり物足りない内容で、何とか今年こそは一軍に完全に定着して本当の主戦力として頑張ってほしいところです。 2巡目 木村一喜 捕手 日本通運 関東地区 計9pt 上位で指名された社会人捕手(高校経由)、当時は西山と瀬戸以外にまともな捕手がいなかったことから一年目から三番手捕手として28試合に出場、翌年も三番手捕手として出場を重ね、三年目は突如打棒が爆発して打率3割を記録し、来年からはレギュラーかと思われましたが、石原にその座を奪われて木村は右の代打として出場するも芳しい成績は残せず、ここから転がり落ちるように2002年の打撃が嘘のように影を潜め、2006年以降は僅か一桁のみの試合出場に留まり、そのまま引退という形となりました。 何故か打撃がそのまま落ちていってしまいましたが何故だかわからずに終わってしまいました。 3巡目 栗原健太 内野手 日大山形高 東北地区 計35pt 右の長距離打者として3巡目指名、2年間は右肩の故障もあって二軍でも少ない出場に留まりましたが、3年目からはレギュラーに定着して一軍に昇格して初本塁打を放つと、4年目も順調に成績を伸ばし、そして5年目は故障者が出たこともあって開幕戦にスタメン出場し、この年は11本塁打を記録しました。 2005年は故障で後半戦から出場しましたが、ここでも見事な打撃成績を残して以降は不動のレギュラーとなって主軸打者として活躍、2007年、2008年は2年連続3割20本塁打を記録して4番打者として君臨しました。 特に2008年はRCAAでも上位に入り、首位打者争いにも参戦するなど素晴らしい成績を残しました。 2011年は違反球でありながら17本塁打も放ち、これからも4番打者として活躍していくだろうと誰もが思っていましたが、右肘の手術をして以降は嘘のように全く精彩を欠くようになり、昨年は遂に一度も一軍出場することなく、二軍暮らしに終わってしまいました。 しかし、ここで終わるような選手ではないはず、永川が戻ってきたように栗原も絶対戻ってくることを信じて待ちたいと思います。 4巡目 末永真史 外野手 佐賀東高 九州地区 計7pt 当時youtubeにアップされていた『広島50年のドキュメンタリー』にて村上スカウトの目の付けた選手として紹介されていた選手です。 また、打撃の職人として前田二世とも騒がれていたものの中々芽が出ずにいました。 しかし6年目、主に代打要員として活躍して頭角を現すと、ブラウン体制になった2006年も主に代打として起用されて成績を残します。 ところが2年間は僅か4試合の出場に留まり、一気に出番が無くなったかと思われましたが、2009年は9回表に代打逆転3ラン本塁打を放つなど再び主に代打として活躍を見せました。 しかし、まともに活躍したのは実質この3シーズンのみに留まり、最後の2年間は出番なしに終わりました。 現在は九州地区担当のスカウトととして田村スカウト共に奔走しています。 5巡目 佐竹健太 投手 NKK 中国地区 計8pt 高卒経由の社会人投手、こちらも1年目から起用されたものの活躍できず、その年の秋にサイドスローに転向するも芽が出ず、元のフォームに戻した2004年に一軍昇格を果たすと左の中継ぎとして32試合に登板しました。 しかし、それ以降は左の中継ぎとして起用されるもそこまで安定感のある投球ができずに制球面も年々悪化していき、ストライク先行を掲げるブラウン監督の構想からは徐々に外れてしまい、楽天へとトレードされました。 6巡目 苫米地鉄人 投手 山梨学院大附高 中部地区 計3pt 6巡目指名の高卒投手でしたが何と開幕一軍に抜擢、3年目には先発投手としても起用されるなど頭角を現しかけましたが、体作りもなしにいきなり一軍で起用したのはやはり無謀だった感が否めず、故障がちで立て続けに肩や肘を故障してしまい、いつしか135キロにも到達しなくなってしまい、戦力外通告を受けて引退しました。 現在はトレーナーとして広島に再度復帰したとのことです。 7巡目 松本奉文 内野手 亜細亜大学 関東地区 計1pt 下位指名ながらも強打の内野手としてこちらも一年目から起用されて初本塁打も記録、それ以降は二軍暮らしも長打力を発揮していつでも一軍を意識できる存在になりました。 しかし、一軍に昇格するも代打のみの出場ですぐに降格される不遇な扱いが続き、中々一軍に定着できませんでしたが、2005年にようやく殻を破ってショートとしてレギュラー出場を果たし、連続死球記録なども作るなどようやく一軍で貢献することができましたが、何とその年に戦力外通告を受ける不可思議な事が起き、本人も引退を決断するなど何やら裏を感じる決定、現在は広島のスカウトとして東海地区を担当としています。 8巡目 長崎元 外野手 平塚学園高 関東地区 計0pt 最下位指名で一度も一軍出場することなく、僅か3年で戦力外通告となりました。 当初はウッチー・べっチーのコンビとして河内や苫米地が注目を集めたものの、この中で最も大きな活躍を見せたのはやはり栗原、さすが2000年は二軍でもほとんど出場がないにもかかわらず、『江川卓スカウティングレポート2001』でも早くから注目されていたのか掲載されていた選手だけのことはあります。 中軸打者としてもう一度栗原の復活を期待したいと思います。 『余談話』 九里が今年の春季キャンプでも投げ込みを続けるそうでがちょっと心配ですが、コーチとトレーナーと話すそうなのでしっかりと止めるところは止めてあげて欲しいところです。 ただ、個人的に数多く投げてフォームを作るとのことですが、素人考えながらこれはかなり効率の悪いやり方なのでは?と思います。 一般社会で言えばexcelに関数機能がついているにもかかわらず、使い方を知らないのでいちいち手動で統計を取っているようなものではないかと思います。 黒田投手の著書である『クオリティピッチング』や前田健太、オリックスの金子やTEXのダルビッシュなども発言していましたが、彼らは「フォームにチェックポイントを設けており、そこから修正する」そうです。 つまりそのチェックポイントの部分さえしっかりすれば後はスムーズにフォームは修正できるとのことで、こちらの方が遥かに効率が良さそうです。 九里ももっと効率良く成長していかなければ大きく廻り道をしてしまうことになりそうですが・・・。
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最終更新日
2015.01.26 12:07:22
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