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カテゴリ:音楽・歌謡曲・懐メロ
リュウちゃん、10年ほど前に、コロムビアから発売された「日本映画主題歌集」というCDを10枚程、購入しました。このシリーズの(3)は、昭和12年~14年の映画主題歌が収録されていまして、メインは映画「愛染かつら」の主題歌です。
映画「愛染かつら」は昭和13年公開、全4部作として製作され、戦時体制突入直前の日本人の心を席巻したようです。主演は上原謙と田中絹代、音楽は松竹の音楽監督でもあり、コロムビア専属作曲家であった万城目正、 この、(3)に入っている「愛染かつら」の主題歌を以下に挙げます。 「愛染かつら」より→「旅の夜風」(歌:霧島昇、ミス・コロムビア)、「悲しき子守唄」(ミス・コロムビア)、「続・愛染かつら」より→「愛染夜曲」(霧島・ミス・コロムビア)、「朝月夕月」(ミス・コロムビア)、「愛染かつら・完結編」より→「愛染草紙」(霧島、ミス・コロムビア)、「荒野の夜風」(ミス・コロムビア) この映画は、リュウちゃんの母親が少女時代に熱中したようで、上記の一連の主題歌も、幼い頃、母親からよく聴かされたものです。いわば、リュウちゃんの懐メロ人生の原点なのです。 この映画で田中絹代の演じた「高石かつ枝」という役名は、昭和37年に松竹で再映画化にあたって、主題歌「旅の夜風を歌ってデビューした、「高石かつ枝」さんがいましたね、リュウちゃんの世代は、こちらの「高石かつ枝」さんのほうが馴染み深いのかも知れません。前回のブログで書いた二葉あき子さんの「純情の丘」も、こちらの「高石かつ枝」さんで聴いた人が多かったのだと思います。 ヒロインが看護婦さんという「愛染かつら」の設定は、戦後の「月よりの使者」に受け継がれたようですね、こちらもリュウちゃんは歌でしか知らないのですが、リュウちゃん、こちらの歌も大好きでよく歌います。 この歌は、昭和24年に竹山逸郎・藤原亮子のデュエット(=共唱)でビクターより発売されたのですが、霧島・松原夫妻の最後のデュエット曲となった、古賀政男の「三百六十五夜」に出だしがほぼ同じ、現代だったら盗作ということになるのでしょうが、作曲した佐々木俊一が、事前に古賀政男に了解を取っていたという有名なエピソードが残されています。 昔は現代と違い、こういうおおらかな時代だったようですね。 霧島昇の歌は音大卒業歌手の多くがそうであるように楷書体、書かれた音符を正確に歌う、その上で、少し低音部にうなりを含んだような安定感のある声が魅力です。 「誰か故郷を思わざる」の冒頭の部分(詞:西条八十) 花摘む野辺に 日は落ちて この出だしのメロディは、ミーファミードミドシラーシドミー ファラーシドラーファーミーなのですが、最初の「花摘む」の「む」の音にメロディは4音、すなわち、「ドミドシ」をあてています。「はーなつーむううう」、これは、楽譜の装飾記号の「ターン」(回音)に近いものですね、まあ、節回しの一種です。この頃の懐メロには、よく、回音が出てきますが、霧島さんは、この回音をきちんと正確に、情感深く歌うのです。霧島さんは、この頃の歌手の中では、「ターンの名人」なのです。 不肖リュウちゃんも、この頃の懐メロを歌う時には、この「ターン」をキチンと歌うことを、心掛けています。 「愛染かつら」が典型ですが、この頃は共唱の歌が大変多いように思います。 いわゆるデュエット曲、 霧島さんのデュエット曲を以下に挙げてみます。 「旅の夜風」、「愛染夜曲」、「愛染草紙」、「一杯のコーヒーから」、「目ん無い千鳥」、「三百六十五夜」→ミス・コロムビアとデュエット 「純情二重奏」→高峰三枝子、「なつかしの蕃社」、「相呼ぶ歌」→菊池章子、「蘇洲夜曲」→渡辺はま子、「リンゴの唄」→並木路子、「新妻鏡」、「あの夢この歌」→二葉あき子、「月が出た出た」→久保幸江、「サム・サンデー・モーニング」→小川静江、 霧島さんの他の歌で、最近、リュウちゃんのお気に入りになったのが、「なつかしの蕃社」です。これ、昭和13年発売、歌詞(詞:西条八十)は以下です。 春は優しい緋桜が 赤く七つの峯染めて 谷はペタコの歌ばかり 想い出の想い出の 蕃社の村はなつかしや 戦後生まれのリュウちゃん、歌詞の意味が判らない。どうやら「蕃社」とは、戦前、日本が支配していた台湾の「村」の総称のようで、数々の抗日運動の拠点となったようです。「ペタコ」は、台湾に生息している小鳥、学名「シロガシラ」、ちなみに「ペタコ」は台湾語で「白い頭」という意味だそうです。 「ペタコ」という童謡がありますが、これは、野口雨情作詞、中山晋平の作曲です。この「なつかしの蕃社」、デュエット」相手の菊池章子がいいのです。 後年の「春の舞妓」と双璧の歌唱です。 あと、「あの夢この歌」、この歌は実はリュウちゃん、後年の北原謙二の歌唱で知った歌なのですが。この北原謙二が実にいいのです。それで、この歌もカラオケのレパートリーにしたのですが、まだ、この歌のカラオケにお目にかかった事が啼く、その為に☆印なのです。 桐島昇は、東洋音楽学校(現・東京音楽大学)、卒、昭和12年、「赤城しぐれ」でデビュー、 ★旅の夜風、★一杯のコーヒーから、★愛染夜曲、★純情二重奏、★誰か故郷を想わざる、☆愛染草紙、☆なつかしの蕃社、★蘇洲夜曲、★新妻鏡、★目ン無い千鳥、★若鷲の歌、★リンゴの唄、★麗人の歌、☆旅役者の唄、★胸の振子、★二百六十五夜、☆あの夢この歌、☆緑の並木路、☆サム・サンデー・モーニング、★白虎隊、☆夢去りぬ、☆ギター月夜、 霧島昇と多くのデュエット曲を残した松原操は、当初、ミス・コロムビアという覆面歌手としてデビューしました。これは、その前年、ビクターから「金色仮面(ゴールデン・マスク)」という芸名で覆面歌手としてデビューした小林千代子に習ったものだそうです。 リュウちゃんの世代では、「覆面・・・」というと、覆面レスラーのザ・デストロイヤーなどしか思い浮かばないのですが、歌謡曲創生の時代に、既にこのようなプロモーションが行われていたことは、全く驚きですね、当時は当然テレビはありませんので、二人とも宣伝ポスターで仮面をかぶって登場したようです。 霧島昇と松原操は歌謡界きってのおしどり夫婦として知られています。 昭和59年、霧島が69歳で逝去すると、すぐ後を追うように、松原操も亡くなったのです。 ミス・コロムビア(松原操)は、東京音楽学校(現・東京芸術大学)卒業、昭和8年、覆面歌手、ミス・コロムビアとして、「浮草の唄」でデビュー、昭和14年、3歳年下の霧島昇と結婚、 ★並木の雨、★悲しき子守唄、★兵隊さんよありがとう、☆荒野の夜風、 小林千代子は東洋音楽学校(現・東京音楽大学)卒、ビクターより、[黄金仮面]という芸名の覆面歌手としてデビュー ★涙の渡り鳥、☆人の気も知らないで、 高峰三枝子は、昭和13年、「蛍の光」でレコード・デビュー ★湖畔の宿、★南の花嫁さん、★牧場の花嫁さん、★懐かしのブルース、☆情熱のルンバ、☆想い出のボレロ、☆別れのタンゴ 今回の★☆追加 ★ 22曲、☆12曲 (累計)★452曲、☆410曲、合計862曲です。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2009年10月10日 10時08分39秒
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