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カテゴリ:国内旅行
榛名山の 噴火の下から甦る日本のポンペイ 此処に在り
リュウちゃん、先月の22日~25日、3泊4日で、娘夫婦と二人の孫が住んでいます群馬県の沼田市に奥方と二人で行ってまいりました。今回の旅行の主な目的は、3歳になります上の孫の幼稚園での運動会デビューを見る事だったのですが、奈良出発の直前に、「孫がおたふく風邪に罹り、運動会は休場」との連絡が入りました。まあしかし、旅行予定は変更する訳にはいかず、予定通り、22日に群馬に向けて出発しました。
23日に予定されていた孫の運動会は、孫が休場の為、いち早く見学中止としましたが、さて、何処へ行こう?
23日は祝日でしたので、高崎市に住んでいる息子に連絡、息子の車で、かねてから行きたいと思っていました「群馬の古墳」に案内してもらう事になりました。朝10時過ぎ、沼田の娘の家を出発、午後11時過ぎに前橋市にあります群馬県庁ビルに到着、この県庁ビルは、33階立て、高さ153.3メートル、群馬県では一番高いビルなのだそうです。32階の展望台の階下にありますレストランで、ビルのすぐ脇を流れています利根川などの風景を愉しみながら昼食、昼食を終えてから、車で20分位のところにあります「上毛野(かみつけの)はにわの里公園」に足を運びました。
冒頭及び以下の写真は、公園内にあります八幡塚古墳および双子山古墳です。いずれも前方後円墳です。この公園には、もう一つ、薬師塚古墳という前方後円墳があり、この三つの前方後円墳を総称して「保渡田古墳群」と呼ばれています。
リュウちゃん、この公園に入ってビックリ! 近畿地方にしか無いと思っていました前方後円墳が、近畿から遠く離れた群馬県にも存在していたとは!
公園の一角にあります「かみつけの里博物館」のパンフレットの冒頭には以下のように書かれています 6世紀の初め、2度に渡る榛名山の火山災害に襲われた榛名山東南麓には、東日本でも有数の勢力を誇った王の本拠地がありました. ~中略~ 当時の社会要素のほとんどが揃って発見されています。まさにこの地域は考古学上の重要地域といえます。
榛名山の大噴火は西暦495年と525年頃、この大噴火によって、この辺りの古墳は、その灰の下に埋れてしまったのですね、これ、イタリアのポンペイ遺跡と同じですね。
「保渡田古墳群」は日本のポンペイなのだ!
「保渡田古墳群」が榛名山の大噴火で灰の中に埋れてしまった6世紀の初頭は、大和朝廷は第25代・武烈天皇(498-506年?)、第26代・継体天皇(507-531年?)の時代(この継体天皇から、天皇の系譜は、ほぼ正確と見られているようです)、継体天皇から安閑-宣化-欽明-敏達(びだつ)-用明-崇峻と進んで、第33代の推古天皇(初の女帝)に至って、在位の年代(592年12月8日~628年3月7日)が正確なものとなり、日本はここから完全に歴史時代に入ったとされています。日本最初の正史である「日本書紀」が書かれたのが推古天皇から約100年後の720年です。
でも、何故近畿から遠く離れた群馬県に前方後円墳が?
ここからはリュウちゃんの推定、いや妄想になります。
(妄想1) 「古事記」「日本書紀」にある「神武東征」は、伝説の神武天皇が九州から東を目指し、数十年をかけて大和の地に至り、畝傍山の近くで即位します。これが大和朝廷の始まりです。 神武天皇の後、大和朝廷は更に勢力を増し、日本初の統一国家としての体裁を強固にします。大和朝廷は更に東進し、沿岸つたいに関東に入り、利根川を遡上、そこに住んでいた人々に大和の文化を伝えます。これが、大和の仁徳天皇陵の規模を縮小した群馬の前方後円墳など、大和風文化として定着します。
(妄想2) 3世紀末に西晋の陳寿によって著された魏志倭人伝(ぎしわじんでん)(「『三国志魏書東夷伝倭人条』」によれば、倭人(日本人)は漢の時代から中国に朝貢、その数三十余国、元々は男子を王として70 - 80年を経たが、倭国全体で長期間にわたる騒乱が起こった(いわゆる「倭国大乱」と考えられている)。そこで、卑弥呼と言う一人の少女を女王に共立することによってようやく混乱を鎮めた。 これが古代日本を統一した「邪馬台国」である、という事です。
リュウちゃんは以下のように比定します。 邪馬台国=大和朝廷、男子の王=神武天皇、卑弥呼=姫御=天照大神(アマテラスオオミカミ)あるいは倭姫命(ヤマトヒメ:伊勢の地に天照大神を祀った第11代垂仁天皇の第4皇女、邪馬台国の卑弥呼=ヤマタイコクのヒミコ=ヤマトコクのヒメコ=ヤマトヒメ=倭姫命(!)
(妄想3) 日本の古代の墳墓は、被葬者が誰だか判らないケースが大半、最大の前方後円墳である仁徳天皇陵も、実は被葬者は不明、この前方後円墳を仁徳天皇陵と宮内庁が治定したのは江戸時代末期~明治時代初期、このような古代の古墳は、科学的に被葬者が確定していないにも拘わらず、宮内庁が治定(決め付け)して、囲い込んでしまった為、現在でも本格的な発掘がほとんど行われていません。何と言うアナクロ二ズム、これじゃ、日本のインディ・ジョーンズ・吉村作治さんがピラミッドの発掘に血道を上げる訳だ!
もし本格的に日本の古代の巨大古墳が発掘されることになりましたら、日本の古代史研究は革命的、飛躍的な発展があるでしょう。ピラミッドのように、素人では絶対に盗掘出来ない隠し部屋に、ロゼッタストーンのようなモニュメントが眠っているかもしれませんよね、 天皇陵の発掘を阻害していますのは、頑迷な宮内庁です。ここは天皇陛下に一言、「天皇陵を発掘し日本古代史の真実を解明することを望みます」と宣告頂きたいと思います。科学者であらせられる今生天皇であれば、宮内庁の頑迷さが日本の考古学を阻害していることは充分にお判りの筈だと思います。天皇陛下様、宜しくお願い致します。
てな妄想が、この保渡田古墳群並びに「かみつけの里博物館」を見学の際、リュウちゃんの頭の中をグルグルと駆け巡っていました。
でも、考えて見ますと、宮内庁が頑迷に天皇陵の発掘を拒んできたおかげで、庶民である私達は自由奔放に古代の夢を見られるのかも知れませんね、そうなりますと、 頑迷な宮内庁に感謝! ですね!?
前回からブログにYou-Tubeを貼り付ける事にしました。
今日の一曲目は、リュウちゃんの大好きな中島みゆきさんの「泣かないでアマテラス」です。この歌は、1992年の「夜会4~金環食」で歌われました。
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