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テーマ:最近観た映画(54)
カテゴリ:日本映画(邦画)
映画化は無謀、そう思っていました。 「参りました」を通りこして。 「やってくれました」の一言です。 先日、話題の映画「蜜蜂と遠雷」を観てきました。この映画は、リュウちゃんご贔屓の女流作家・恩田陸(おんだりく)さんの2016年刊行の同名小説の映画化です。小説「蜜蜂と遠雷」は、2016年下期の第156回「直木賞」と、2017年の「本屋大賞」をダブル受賞し、大ベストセラーになった傑作です。 ハードカバー507ページの大長編! (恩田陸さん) リュウちゃんが初めて恩田陸さんの小説を読んだのは、1997年に刊行された「三月は深き紅の淵を」です。この小説に感動して以来、2004年に目を悪くして、満足に読書が出来なくなるまで、刊行された恩田さんの小説は殆ど読みました。以下、当時読んだ恩田さんの小説をタイトルのみ挙げてみます。 「六番目の小夜子」(デビュー作)、「光の帝国・常野物語」、「象と耳鳴り」、「木曜組曲」、「月の裏側」、「ネバーランド」、「麦の海に沈む果実」、「上と外」、「ライオンハート」、「MAZE」、「ドミノ」、「黒と茶の幻想」、「図書館の海」、「蛇行する川のほとり」、 上記、 「蛇行する川のほとり」を読んだ直後に糖尿病性網膜症を発症し、視力障害者(5級)になってしまいました。何しろ「5,6倍の老眼鏡」をかけないと新聞や本が読めない状態、「ハズキルーペ」などでは、全然読書が出来ない状態なのです(映画は3列目あたりの席で観ると、やっと俳優の顔が見分けられる、洋画の字幕が読み取れる、という状態でした) なので、恩田さんが初めて大きな文学賞を受賞した「夜のピクニック」(2004年、第26回吉川英治文学新人賞、2005年、第2回本屋大賞受賞)以降の本は殆ど読むことが出来ませんでした。 一昨年、恩田さんの「蜜蜂と遠雷」が直木賞と本屋大賞をダブル受賞したというニュースに接し、 久々に恩田陸の小説を読んでみよう! ということで、この大長編小説を読むことになったのです。 何しろ、5,6倍の老眼鏡をかけて読むので、読破するまで一週間くらい掛ってしまいました(トホホ!) <小説「蜜蜂と遠雷」の概要> 実在する「浜松国際ピアノコンクール」をモデルとした架空の「芳ヶ江国際ピアノコンクール」に応募した若き天才コンテスタント(応募者)達の2週間に渡るコンクール挑戦を描いた青春群像ドラマです。 小説では「1次予選」、「2次予選」、「3次予選」を経て、オーケストラと競演する「本戦」に6人のコンテスタントが残り、そこで優勝者が選出されるという設定です。 以下、小説で設定された各予選と本戦の条件を書きます。 <1次予選> 指定されたピアノ曲を3曲、20分以内で弾く。 <2次予選> 1次予選と共通の指定された曲を3曲以上とコンクールのために作曲された「春と修羅」という新曲を40分以内で弾く。 <3次予選> 1次・2次予選で演奏した曲以外の任意の曲で自由に構成、60分以内で弾く。 <本戦> 指定のピアノ協奏曲からオーケストラと演奏。 小説の中で演奏されたピアノ曲は、全部で78曲にも及びます。 以下のサイトは、この78曲を全て実際の演奏で紹介したものです。全部視聴するとすれば、恐らく10時間くらいかかりますが、興味のある曲を抜粋して聴いてみて下さいね。 <第156回直木三十五賞受賞記念!『蜜蜂と遠雷』プレイリスト> 誰が優勝するのか? 読み進めるうちに興味津々! <コンテスタントたち> 小説で名前が出てくるコンテスタントは9人ですが、映画では以下の4人に絞られてています。 以下、映画の画像をネットからお借りして、コンテスタントと演じた俳優、実際に演奏したピアニストを紹介させて頂きます。 <栄伝亜夜(えいでん あや)=松岡 茉優(まつおか まゆ)> 20歳、天才少女として5歳で数年間コンサートを開きCDデビューもしたのに、13歳のときマネジャーもしてくれた母の突然の死のショックでピアノが弾けなくなり、次のコンサートを直前に中止し、そのまま音楽界から離れ、既に「過去の人」と見られていたが、このコンクールにチャレンジすることにより、本当の音楽を見出そうとする。 松岡 茉優は1995年生まれの女優、NHKの朝ドラ「あまちゃん」で全国的に知られるようになった。2018年には「勝手にふるえてろ」、「ちはやふる 結び」、「万引き家族」などの話題の映画に次々と出演し、数々の賞を受賞した。 河村尚子(ひさこ) (栄伝亜夜の演奏を担当) 西宮市生まれのピアニスト、5歳でドイツに渡りピアノを学ぶ。2006年に、ミュンヘン国際コンクール第2位受賞。翌年、クララ・ハスキル国際コンクールで優勝、 (河村尚子さん) (リュウちゃんの余談)本ブログでUPした「恩田陸さん」、「松岡 茉優さん」、「河村尚子さん」何となく雰囲気が似ていますね。 河村さんはリュウちゃんがレコード会社を早期退職した5年後に、リュウちゃんが元・在籍したレコード会社からショパン・アルバムでCDデビューしました。 いわば、リュウちゃんの「会社の後輩」なのです。このCD、発売直後に「もう一人の会社の後輩」のYちゃんからサンプル盤を贈ってもらいました。 Yちゃん、その節は有難うございました。 <マサル・カルロス・レヴィ・アナトール=森崎ウィン> 19歳、多くが才能を認める天才で、ペルー人の母とフランス人の貴族の血筋の父を持つ日系三世。ジュリアード音楽院(ニューヨークにある実在する音楽学校、世界でも最も優れたクラシックの音楽学校の一つ)に在学中で、高身長の貴公子然として「ジュリアードの王子様」と呼ばれる。少年時代に日本に一時在住し、アーちゃん(栄伝亜夜)が通う綿貫先生のピアノ教室に、一緒に連れられピアノに初めて出会い何回も行き、2人でピアノを練習した。このコンクールで成長した栄伝亜夜と再会した。 森崎ウィンは、1990年生まれの19歳(マサルと同い年!)、ミャンマー出身、音楽ユニットPRIZMAXのメンバーで、メインボーカリストの他、作詞作曲も手掛けるミュージシャンである。少年時代から映画にも多数出演。2018年のスティーブン・スピルバーク監督の「レディ・プレーヤー1」では、主要なキャストの一人に選ばれ。ハリウッド・デビューを果たした。 金子 三勇士(かねこ みゆじ) (マサル・カルロス・レヴィ・アナトールの演奏を担当) 1989年高崎市生まれ、日本人の父とハンガリー人の母を持つ。6歳の時に単身ハンガリーに音楽留学、祖父母の家からバルトーク音楽小学校に通う、11歳の時、飛び級でハンガリーが生んだ大ピアニストで作曲家であるフランツ・リストが創設したリスト音楽院に入学、その後帰国し、東京音楽大学ピアノ演奏家コースを首席で卒業。バルトーク国際ピアノコンクール優勝など、様々な受賞歴を持つ。 (金子 三勇士) 金子 三勇士さん、映画の森崎ウィンによく似ていますね! <風間塵(かざま じん)=鈴鹿央士(すずか おうじ)> 16歳、音楽大学出身でなく、演奏歴やコンテストも経験がなく、自宅にピアノすらない少年。フランスで、父親が養蜂業で採蜜の移動の旅をしつつ暮らす。ピアノの練習は殆ど「無音鍵盤」で行っている。 伝説のピアニスト、「ユウジ・フォン=ホフマン」に見いだされ師事し、彼が亡くなる前の計らいで、現在、パリ国立高等音楽院特別聴講生となっている。ホフマンは風間塵がこのコンクールに出場するに当り、審査員に以下のような推薦状を送る。 「皆さんに、カザマ・ジンをお贈りする。文字通り、彼は『ギフト』である。……だが、勘違いしてはいけない。……彼は劇薬なのだ。……彼を本物の『ギフト』とするか、それとも『災厄』にしてしまうのかは、皆さん、いや、我々にかかっている」 風間塵は「ギフト」なのか? 「厄災」なのか、? 鈴鹿 央士は、2000年生まれの19歳、「蜜蜂と遠雷」が映画初出演の新人、趣味の一つが「ピアノ演奏」のようである。 <藤田真央(まお)> (風間塵の演奏を担当) 1998年生まれ、現在19歳の男性ピアニスト、3歳でピアノを始め、10歳の時に日本クラシック音楽コンクール全国大会グランプリ。「世界クラシック2010」(台湾)へ日本代表として出場、ジュニア部門第1位、18歳の時にクララ・ハスキル国際ピアノコンクール第1位 (スイス)。併せて聴衆賞などの3つの特別賞受賞。日本人では河村尚子以来3人目の優勝、今年、世界三大ピアノコンクールの一つであるチャイコフスキー国際コンクールピアノ部門にて第2位になるなど、若くして華々しい受賞歴を刻んだ天才ピアニストである。 (藤田真央) 藤田真央も映画の鈴鹿 央士とソックリだ! (リュウちゃん余談)小説の風間塵は、天才コンテスタントの中でも、もっとも魅力的なキャラクターです。両親と共にフランスで蜜蜂を求めての養蜂業の放浪生活、ピアノも持っておらず、無音鍵盤で練習する、伝説のピアニスト・ホフマン先生の弟子になったとはいえ、殆どレッスンの時間は無い、にも拘わらず、コンクールのファイナリストに名を連ねる、ちょっと現実には考えられないことですが、恩田陸さんの筆力は、彼の存在を現実的なものにしてしまいました。 風間塵にとりましては、雨音や蜂の羽音なども全て音楽であり、ホフマン先生の「音を外に連れ出す」という行為をコンクールで実現するのです。 鈴鹿央士君、デビュー当時の近藤真彦にそっくりだ! 風間塵のキャラクターは、20世紀の日本を代表する現代音楽作曲家・武満徹(たけみつ・とおる、1930~1996)にちょっと似ています。 (武満徹) 武満は20歳の時に「2つのレント」というピアノ曲で作曲家デビューを果たしたのですが、何と、その時まで自宅にピアノが無かったのです!ピアノの練習は「本郷から日暮里にかけて街を歩いていてピアノの音が聞こえると、そこへ出向いてピアノを弾かせてもらっていた」(ウィキペディアの記述)のだそうです。 <武満徹「2つのレント> 作曲も殆ど独学で、一応、東京芸術大学の作曲科を受験したのですが、同じ受験生だった少年からの示唆で「作曲をするのに学校だの教育だのは無関係だろう」との結論に達し、2日目以降の受験を欠席、上野で映画を観ていたのだそうです。 恩田陸さんが風間塵というキャラクターを創造するに当り、武満徹の生き様を参考にした筈だとリュウちゃんは感じました。 リュウちゃんが若い頃に、武満徹のエッセイ「音、沈黙と測りあえるほどに」 (1971年刊行)という本を読んで感銘を受けたことがありました。 このエッセイのタイトルから読み取れることは、 「音楽は沈黙(無音)という豊穣なキャンパスの上の描く絵のようなものだが、沈黙(無音)こそが一番豊穣な音楽であり、そのキャンパスの上に描く実際の絵(音楽)は、なかなか豊穣なキャンパスには対抗できない」ということだとリュウちゃんは当時感じました。 現代の宇宙論では、 「真空はダークエネルギーで満たされている」のだそうです。 「沈黙(無音)のキャンパス(真空)から、ダークエネルギー(無音のままの音楽)を、音のある音楽として外に引き出す」ことが作曲家の使命であると、武満徹は思っていたのではないでしょうか。 このエッセイは、もちろん文字(文章)で書かれていて、現実の音としての音楽は聞こえないのですが、読者にとりましては「常に豊な音楽が文章から流れてくる」のです。いわば、恩田陸さんが「蜜蜂と遠雷」で試みた「文章で音楽を語る」ということを体現したものだったのですね。 「蜜蜂と遠雷」を書き進める恩田さんの頭の中には、武満徹の、このエッセイがあったのではないかとリュウちゃんは勝手に思っているのです。 尚、実際のクラシック界には、ヨーゼフ・ホフマンという、今では伝説になってしまったピアニストがいます。 <ヨーゼフ・ホフマン(1876~1957)> 彼は僅か10歳でヨーロッパ中を演奏旅行して、「神童」の名を欲しいままにしました。偉大なピアニストで作曲家だったセルゲイ・ラフマニノフは、代表作の一つである「ピアノ協奏曲第3番」をホフマンに献呈しましたが、ホフマンはこの曲を一顧だにしなかったそうです。 <高島明石=松坂桃李> 28歳、音楽大学出身でかつては国内有数のコンクールで5位の実績。卒業後は音楽界には進まず、現在は楽器店勤務のサラリーマンで妻娘がいる。だが、家には防音の練習室を備え、ピアノは、やめることはなかった。音楽界の専業者だけではない生活者の音楽があるとの強い思いがある。最後との気持ちで、コンクールに応募した。 松坂桃李 1988年生まれ、現在31歳、高島明石よりちょっと年上で、イケメンの男優、20の時に俳優デビュー、テレビドラマの他、映画も既に数十本出演している人気俳優。 福間洸太朗 (高島明石の演奏を担当) 1982年生まれのピアニスト、東京都立武蔵高等学校卒業。 パリ国立高等音楽院、ベルリン芸術大学、コモ湖国際ピアノアカデミーにて学ぶ。20歳でクリーヴランド国際コンクール優勝(日本人初)およびショパン賞受賞、これまでカーネギーホールやサントリーホールなどでリサイタル開催、クリーブランド管弦楽団、モスクワ・フィル、NHK交響楽団など、国内外の著名オーケストラとの競演も多数あり、名実共に若手のトップピアニストの一人である。 (福間洸太朗) 福間洸太朗も映画の松阪桃李と似ている! (リュウちゃん余談)リュウちゃんはテレビドラマは殆ど観ない人間なので松坂桃李については、これまで全く知りませんでした、といいますか、「桃李」という名前(本名)から、最近まで「女優」だと思っていました(苦笑)。彼の出演する映画を初めて観たのは、今年6月に公開された「新聞記者」だったのです。この映画で彼は、内閣情報調査室のエリート官僚を好演していました。「蜜蜂と遠雷」の高島明石役も好演だったと思っています。 それにしましても、上記4人のコンテスタントの演奏部分を担当したピアニストは、皆、「早熟の天才」なのですね。 しかもルックスもよく似ている! 小説のコンテスタントの年齢、性別、ルックス、音楽性に合わせて、このような天才ピアニストに演奏を依頼したことに、改めて脱帽する次第です。 <小説と映画の違い~膨大な小説を如何に簡略化したのか?> 小説「蜜蜂と遠雷」はハードカバー507ページの大長編、登場人物も名前が出るコンテスタントだけでも9人、出てくる楽曲は計78曲(全部フルに演奏すると約10時間!)、普通だったら、とても2時間強の映画化は不可能ですね。原作者の恩田さんが、「映画化は無謀、そう思っていました」と言ったのも「むべなるかな」です。 映画化に当たっては、小説の本筋はそのまま残しながらも、登場人物や楽曲の数を大幅に簡略化する必要があります。リュウちゃんは以下のように簡略化したと思いました。 (1) 登場するコンテスタントを、ほぼ4人に絞った。 (2) 小説では、1次予選~3次予選、本戦と、計4回あるコンクールを、計3回に簡略化した。 (3) 各予選で演奏される楽曲も、映画では、ほぼ1曲に絞った(映画では、1次予選で演奏が聴けるのは、風間塵が演奏したバッハ「平均律クラヴィーア曲集第1番のプレリュードのみでした。 <バッハ:平均律クラヴィーア曲集第1番「プレリュード」~リヒテル> また、小説では、2次予選に出てくるオリジナル課題曲「春と修羅」他、数曲を弾くとうになっていますが、映画では、2次予選はこの「春と修羅」1曲のみ弾くという簡略化が行われていました。映画では3次予選は省略され、2次予選からいきなり本戦に進むという簡略化が行われていました。 <オリジナル課題曲「春と修羅」について> 小説「蜜蜂と遠雷」では、2次予選のオリジナル課題曲の一つとして、架空の作曲家・菱沼忠明の作曲したオリジナル曲「春と修羅」をコンテスタントが弾くことになります。当然、小説は音が出ないので、私達読者は自分で音楽を想像して読み進めるのですが、映画では、このピアノ曲が実際に「音」として聴くことが出来るのです(以下の動画で冒頭の部分が聴けます) 実際にこの曲を作曲したのは、今年32歳の新進気鋭の現代音楽作曲家・藤倉大(ふじくらだい)氏です。下の写真のように、俳優・石原良純に似た精悍なイケメンですね。 (藤倉大) 以下は「春と修羅」の作曲者、藤倉大氏のインタビュー動画です。映画音楽がどのように創られていくかについての、興味津々のインタビューです。時間が許せば是非ご覧下さいね。 <藤倉 大さんインタビュー「春と修羅」> この曲には「正式な楽譜」にコンテスタントが作曲した「カデンツァ」を追加して弾くことになっています。「カデンツァ」とは、協奏曲などで独奏者がオーケストラの伴奏なしで即興的に自由な音楽を入れる部分です。映画では、藤倉大氏が作曲した「春と修羅」に、どういう「カデンツァ」を各コンテスタントが付けるのかが、興味津々の場面になっています。 「春と修羅」は、宮沢賢治が1924年(大正13年)に初めて出版した詩集です。70編の詩から成り、この中に「春と修羅」という単独の詩も含まれています。 (宮沢賢治) 全詩集は以下のサイトで読むことが出来ます。 単独詩の「春と修羅」の冒頭部分を以下にコピペします。 心象のはひいろはがねから あけびのつるはくもにからまり のばらのやぶや腐植の湿地 いちめんのいちめんの諂曲(てんごく)模様 (正午の管楽よりもしげく 琥珀のかけらがそそぐとき) いかりのにがさまた青さ 四月の気層のひかりの底を唾し はぎしりゆききする おれはひとりの修羅なのだ (風景はなみだにゆすれ) この詩、リュウちゃんには難解過ぎて サッパリ解りません(トホホ!) また、映画の中で幼い頃の栄伝亜夜と母親が交わす会話で、 「あめゆじゆとてちてけんじや」 というう呪文のような方言が出てきます。 これは賢治が創作した「花巻弁もどきの方言」で、意味は「雨と雪を取って来てくれませんか」になるそうです。 この言葉が出てくる詩は、詩集「春と修羅」に収録されている「永訣の朝」という単独詩です。以下にこの詩の冒頭部分をコピペします。 けふのうちに とほくへいつてしまふわたくしのいもうとよ みぞれがふつておもてはへんにあかるいのだ (*あめゆじゆとてちてけんじや) うすあかくいつそう陰惨な雲から みぞれはびちよびちよふつてくる (あめゆじゆとてちてけんじや) この詩は、宮沢賢治音痴のリュウちゃんでも少し解り易い(少しホッとしました) <プロコフィエフとバルトーク> 映画の中で(小説も同じですが)、本戦に残った3人は以下のコンチェルトを選びます。 ◎栄伝亜夜→プロコフィエフ「ピアノ協奏曲第2番」 ◎マサル・カルロス・レヴィ・アナトール→プロコフィエフ「ピアノ協奏曲第3番」 ◎風間塵→バルトーク「ピアノ協奏曲第3番」 この3曲、いずれも20世紀前半に初演されたコンチェルトです。大体、ショパンのピアノ協奏曲の100年後に出現した楽曲です。 <セルゲイ・プロコフィエフ(1891年~1953年)> (プロコフィエフ) 1891年、ロシア、ウクライナ生まれの大作曲家、ソビエト時代には、1882年生まれのストラヴィンスキー、1906年生まれのショスタコーヴィチと並ぶ「ソビエト3大作曲家の一人」であった。交響曲(7曲)を始め、クラシックのあらゆるジャンルの作品を残したが、自らが優れたピアニストでもあったため、ピアノ作品にも多くの名曲を残し、現代のピアノコンクールの本戦でも彼のピアノ協奏曲を採り上げるコンテスタントが多い。 (日本でもよく知られている作品)★バレエ音楽「ロミオとジュリエット」、★組曲「三つのオレンジへの恋」、★交響的物語「ピーターと狼」、★交響組曲「キージェ中尉」、など 映画の中で栄伝亜夜はマサルと共にプロコフィエフのコンチェルトを選んだ理由として、「この曲(2)番は初演(1913年)の時は散々な不評に終わったけど、ディァギレフ(1872年生まれのロシアの芸術プロデューサー、特にストラヴィンスキーの「火の鳥」「ペトルーシュカ」「春の祭典」をプロデュースしたことで著名な人物)が初演直後にこの曲を認め、彼にバレエ音楽を作曲書かせたの、この曲は素敵よ」と、マサルに語ります。亜夜の弾くプロコのコンチェルトは確かに素晴らしかったですね。 <バルトーク・ベーラ(1888年~1945年)> (バルトーク) ハンガリーが生んだ大作曲家、ピアニストでありハンガリーの民族音楽研究家でもある。20世紀を代表する作曲家の一人、 (日本でもよく知られている作品)★ピアノのためdの練習曲集「ミクロコスモス」、★「弦楽器・打楽器とチェレスタのための音楽」、★「管弦楽のための協奏曲」、★オペラ「青ひげ公の城」、★パントマイム「中国の不思議な役人」、★「弦楽四重奏曲」(6曲)など、 風間塵が本戦の演奏曲に選んだ「ピアノ協奏曲第3番」は、バルトークの最後の作品の一つで、死との競争で作曲を急ぎましたが、残念ながら最後の17小節を残してバルトークの命は尽きてしまいました。最後の17小節は知人でハンガリー出身の作曲家・ティボール・シェルイによって補筆され、完成したのです。 以上、小説と映画の「蜜蜂と遠雷」の細部に拘って、延々と文章を書き綴ってみましたが長過ぎてしまったようです(ゴメンなさい) この辺で小説と映画の魅力を纏めてみたいと思います。 <小説の魅力> 恩田陸さんは「ノスタルジアの魔術師」と称されているように、郷愁を帯びたファンタジー小説に秀でた作家です。このノスタルジックなファンタシー小説という特性は特に初期の「三月は深き紅の淵を」、「光の帝国」、「麦の海に沈む果実」などで顕著なのですが、「蜜蜂と遠雷」では、 「文章で音楽をファンタスジックに描く」という「離れ業」をやっています。 音楽の演奏は、聴き手にとりましては、演奏者の演奏する音が一瞬、聴衆の耳に飛び込み、次の一瞬には前の音が消えてしまい、次の音に移行し、その音も一瞬に消えてしまい、次の音に移って行きます。音楽はいわば「瞬間芸術」であり、プロコフィエフのピアノ曲のタイトルにもある「束の間の幻影」なのです。 <プロコフィエフ「束の間の幻影」Op-22-ボリス・ベルマン> プロコフィエフの「束の間の幻影」というタイトルは同時代のロシアの象徴主義の詩人・コンスタンチン・バリモントの、以下の言葉から取られています。 「あらゆる刹那の瞬間に私は世界を見る、虹色にちらつく光に満たされた世界を……」 以上の言葉を音楽に置き換えてみますと、 「音楽を聴く聴衆は、演奏のあらゆる刹那の瞬間に虹色にちらつく光に満たされた世界を見る」 ということになります。 小説の中で、「文章で音楽を描く」の例を幾つか挙げてみます。 (例1):栄伝亜夜 第2次予選「リスト:超絶技巧練習曲「鬼火」の文章表現、 「見える・・・本当に、鬼火が・・・冷たい、暗闇に揺れる炎。湿っぽい、リンの匂いが漂ってきそうだ。めまぐるしく動き回るたくさんの青い炎。浮かんでは消え、消えては現れ、ゆらゆらと上下し、時に大きく、時にしぼんで小さくなる」 <リスト「鬼火」,/演奏:福間洸太朗> (例2):風間塵 第1次予選「モーツァルト:ピアノ・ソナタK332」の文章表現、 「まさにモーツァツトの、すこんと突き抜けた至上のメロディ。泥の中から純白の蕾を開いた大輪の蓮の花のごとく、なんのためらいも、疑いもない。降り注ぐ光を当然のごとく両手いっぱいに受け止めるのみ」 (例3):高島明石 第2次予選「ストラヴィンスキー:ペトルーシュカからの三楽章」の文章表現、 「ここは思い切り華やかな導入だ。ぱっきりと鐘の音のように華やかに、硬質な音を響かせよう。なんだか周りに色が見える。これはペトルーシュカの色。明るく、モダンな、エスプリに満ちた、しゃれた色彩だ。桑畑からイギリス海岸、そしてヨーロッパへと旅をしているみたいだ」 声楽曲を除いて、音楽は言葉を持ちません。また、言葉(文章)は「音」(音楽)を持っていません。言葉(文章)と音楽は本来は「水と油」の関係で、全く別次元の存在の筈です。 恩田陸さんがこの小説で試みたことは、上記のバリモントの言葉を手掛かりに、音楽を文章で表現することにより、「別次元である言葉と音楽の間に橋を架けた」ことだとリュウちゃんは強く思いました。 小説のもう一つの魅力は、コンテスタントたちのピュアで清潔な関係です。普通、このような若者が競い合うコンクールでは、競争心や嫉妬心がむき出しになる筈ですが、「蜜蜂と遠雷」の4人のコンテスタントには、このような感情は一切ありません。そして、「恋愛感情」も殆ど無いのです。それどころか、彼らはコンクールが進むにつれて、 「音楽」という一本の絆に結ばれ、お互いに無二の友人になって行きます。 「音楽」の絆で一本に結ばれた 「ミューズの子」達、 気高く、美しく、爽やかだ! <映画の魅力> 原作者の恩田陸さんが、「映画化は無謀」と語っていましたが、リュウちゃんも小説を読んだ時にそう思いました。 恩田さんの小説のテーマは、「文章でリアルに優れた音楽を表現する」ことです。 もしリュウちゃんがこの小説を映画化するプロデューサーの立場であれば、すぐに以下のような困難にぶつかる筈です。 ★あの膨大な小説をどのようにして2時間強の映画に短縮するのか? かって野村芳太郎が松本清張の膨大なミステリー小説「砂の器」を2時間23分の映画に創り上げた時のように、人物設定まで変えてしまわなければならないのか? ★恩田さんが文章で描いた天才たちの演奏を、実際に実現出来る演奏家が存在しているのか。また各コンテスタントの音楽性の違いを、耳の肥えたクラシックファンが十分納得出来るレベルで、実際の演奏家が弾き分けることが出来るのか? ★4人のコンテスタントの配役をどうするのか?、少なくても小説のコンテスタント達に容貌、雰囲気が似ていなくてはならない。しかも演奏のシーンでは、天才演奏家らしくピアノを弾かなければならない。このキャスティングも至難の技だ。 ★小説上の課題曲「春と修羅」の作曲を誰に依頼するのか? また、曲想はそうするのか、映画ファンにとって馴染みのない現代音楽風にするのか?それとも映画ファンに取って馴染みやすいロマン派風の音楽にするのか? (以前、野村芳太郎監督が松本清張の「砂の器」を映画化した時、原作では、主要登場人物の一人の作曲家・和賀英良は、ちょと武満徹を彷彿する天才現代音楽作曲家という設定だったのですが、映画で彼が演奏するピアノ協奏曲「宿命」は、ラフマニノフのようなロマン派の曲に変更されていたことを思い出しました。リュウちゃん、この映画は公開初日に観たのですが、当初、この変更には非常に不満でした。しかし、この変更のためにこの映画は大ヒットしたのです) リュウちゃんは「蜜蜂と遠雷」を読み進める中で、架空の課題曲「春と修羅」を、武満徹の「ピアノ・ディスタンス」を念頭に置いていました。 <武満徹「ピアノ・ディスタンス」~ピーター・ゼルキン> で、実際に出来上がった映画は、このような「映画化は無謀」という至難な課題を、殆ど完璧に近いくらい、見事に解決していたのです! 第一に、あの膨大な長編小説を、本筋は完全に残したまま、1時間58分の映画に纏め切ったこと、これは新進気鋭の石川慶(けい)監督・脚本の勝利ですね。 第二に4人のコンテスタントの演奏ピアニストに、4人の世界的な天才ピアニストを起用したこと、これは画期的なことだと思いました。普通は、バック・ピアニストに4人も世界的なピアニストを起用しようなんて発想は浮かばないですね。お金も掛るし、スケジュール調整は大変です。 映画化の一番の「壁」は、4人のコンテスタントのピアノ演奏のクオリティをどう確保するか、という点にあったと思います。 この「壁」を、思い切って小説と同じような天才ピアニストを4人も起用することにより、見事に突破したのだとリュウちゃんは感じたのです。 ひょっとすると、この演奏した4人を、それぞれの役で出演して頂いたら良かったのではないかとリュウちゃんは妄想するのですが、これは単なる妄想、やはり役者は役者、ピアニストはピアニスト、それぞれの領分を節度をもって守ったということなのでしょうね。 ということで、 「蜜蜂と遠雷」は、 小説も素敵、映画も素敵! というのがリュウちゃんの結論なのです。 このブログの最後に、リュウちゃんが一番印象に残ったシーンを二つ紹介します。 一つは栄伝亜夜と風間塵が夜のピアノ試演室で連弾するシーン、 (栄伝亜夜と風間塵の夜の連弾) これは動画がありますので、それ を貼り付けます もう一つは、コンクール後半で意気投合した4人が浜辺で遊ぶシーン、 「音楽」という「蜜」を求める「蜜蜂」たちの遊ぶ海辺の向こうでは雷雲が発生し、「遠雷」が聞こえてくるのです。 ----- {追記:11月2日} 本ブログ公開のあと、ちょっと気に掛ることがありまして、10月の末にもう一度この映画を観て来ました。 気に掛ったのは、この映画のエンドロールです。 エンドロールで流れた曲は何だったのか? この事につき、以前河村尚子さんのCDを贈ってもらったYちゃんに問い合わせしました(彼女はピアニストなのです)ところ、 「映画は未見です。予告編を見る限り、あれはプロコの3番コンチェルトではないでしょうか?」 との回答でした。 最初にこの映画を観た時は、原作のようにマサルの本選曲はプロコフィエフの3番のコンチェルト、亜夜の本選曲は同じプロコフィエフの2番のコンチェルトだと思って聴いていました(リュウちゃんはプロコフィエフ音痴で、2番と3番の聴き分けが出来ないのです。トホホ!) ところが映画の2人の本戦の曲目は入れ替わっていたのです! 映画の本戦曲目は、 マサル→プロコフィエフの2番(原作では3番) 亜夜→プロコフィエフの3番(原作では2番) 何故、映画化に当たり、2人の本戦曲目を入れ替えたのか??? ちょっと不可解ですが、リュウちゃんの仮説は以下です。 ★映画では、主要コンテスタントの内、亜夜が主役になるように脚本が作られ、映画も亜夜が主役だった。 ★亜夜が主役であるので、ラストシーンは彼女の本戦の弾き終りのシーンにした。原作だったら、このシーンはプロコフィエフの2番のフィナーレを持ってくるところだが、2番は3番に比べ、知名度が低く、ラストシーンの演奏曲目としては知名度の点で難があると考え、亜夜の本選曲をコンクールの人気曲である3番に差し替えた。 この仮説、「当たるも八卦」 なのです(苦笑) さて、冒頭の気掛かり、 エンドロールで流れた曲は何だったのか? です。 以下の2曲を繋いだものだったようです。 (エンドロール曲) (1) (2) もう一つ、映画では亜夜の心象風景として、「雨の中を疾走する馬」が登場します。 このシーンは何? という疑問を持たれた方も多いのではないかと思いますが、この「雨の馬」は原作にも以下のように登場してきます。 「、、、不意に、遠い昔のことを思い出した。まだピアノを弾き始めたばかりの頃。窓辺でじっと雨音を聴いていた時のこと。トタン屋根に落ちる雨が不思議なリズムを刻み、初めて「雨の馬が走ってる」と気付いた時。はっきりと、天を駆ける馬のギャロップが聞こえてきた瞬間。亜夜は、目の前の雨の匂いを嗅ぎ、当時の小さな自分の中にすっぽり入りこんでしまったような気がした、、、、」 要は亜夜の幼い頃の心象風景なのですが、原作は「天を駆ける馬のギャロップ」という「明るい心象風景」であるのに対し、映画の「雨の馬」は異形で暗い、まるで聖書の「蒼ざめた馬」(死)です。 このシーンも原作の「明るさ」を映画では「暗さ」に変換したのか? ちょっと不可解ではありましたが、印象にのこったシーンだったのです。 {追記の追記、11月2日} 本日、恩田陸さんの数少ない長編ミステリー小説「ユ―ジニア」読了、 この小説のヒロインも、 「ほら、聞いてごらん、 世界はこんなに音楽に満ちている」 と語るのでした。
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