テーマ:晩学のすすめ(495)
カテゴリ:読書
哀公問政。子日、文武之政、布在方策、其人存、則其政挙、其人亡、則其政息。
人道敏政、地道敏樹。夫政也者、蒲盧也。故為政在人、取人以身、修身以道、修道以人。 哀公政(まつりごと)を問う。子日く、文武の政、布(し)いて方策に在りて、その人存すれば 則ちその政挙がり、その人亡ずれば則ちその政息(や)む。 人道は政に敏(すみ)やかに、地道は樹に敏(すみ)やかなり。 それ政なる者は蒲盧(ほろ)なり。 故に政を為すは人に在り、人を取るは身をもってし、身を修むるは道をもってし、道を修むるは仁 をもってす。 哀公=魯の君主。 文武=周の文王、武王。 方策=この場合、周の典籍を指す。 その人=賢臣を指す。 息む=止む、滅びる。 樹=ここでは樹を植える。 蒲盧(ほろ)=ジガバチのこと。 魯の哀公が政治について問うた。孔子こたえていわく、 周国の文王、武王の布かれた政治は今も周の典籍の中に存在している。 文王、武王の、その遺法を運用する賢臣がいれば、その政治はよく行なわれ、その人がいなけれ ば、その政治は滅びてしまう。 人の道は、本質的に政に敏速であり、土地が草木を敏速に発育させるようなものである。 その政治が、滅息して行なわれないのは、ただ人がいないがためめである。 それ、政治はちょうどジガバチが桑虫の子を捕ってこれを変化して自分の子とするように、百姓を 教化して善に向かわせるものである。 故に、政(まつりごと)をなすにはただ人(賢臣)を得ることにある。 そして、賢臣を採用するのは君(王)自身である。(名君にしてよく賢臣を得る) 君主の身を修めるには、道をもってしなければならない。 道を修めるには仁をもってしなければならない。 要約すれば、上に立つ者は、仁道を身に修め、賢臣を採用して、天命に率って政を行うべし。 人が人を育て、人が人を駄目にする。古来、いずれの社会でも、人次第であることは明明白。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
Jun 7, 2008 12:20:26 AM
コメント(0) | コメントを書く
[読書] カテゴリの最新記事
|
|