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ドン・愚利公の連れづれ草

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Feb 27, 2010
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カテゴリ:読書
所謂致知在格物者、言欲致吾之知、在即物而窮其理也。

蓋人心之靈、莫不有知、而天下之物、莫不有理。

惟於理有未窮、故其知有不盡也。

是以大學始教、必使學者既凡天下之物、莫不因其已知之理、而益窮之、以求至乎其極。

至於用力之久、而一旦豁然貫通焉、則衆物之表裏精粗、無不到、而吾心之全體大用、無不明矣。

此謂物格、此謂知之至也。



所謂知を致すは物に格(いた)るに在りとは、吾の知を致さんと欲せば、物に即(つ)いて

その理(り)を窮(きわ)むるにあるを言うなり。

蓋し、人心の霊、知あらざる莫(な)し。而して天下の物、理あらざる莫し。

唯だ理において未だ窮めざるあり、故にその知尽(つ)くさざるあるなり。

是(ここ)をもって大学の始教は、必ず学者をして凡そ天下の物に即きて、その既に知るの理に

よって益々これを窮め、もってその極に至らんことを求めざるなからしむ。 力を用うること久しく

して、一旦豁然として貫通するに至れば、すなわち衆物の表裏精粗到らざるなく、わが心の全体

大用(たいよう)も明らかならざるなし。

これを物格(いた)るといい、これを知の至りというなり。



所謂、知を致すは物に格(いた)るに在りとは、自分の知を極めようと欲するならば、自らが

接する物ごとについて、内在するその道理を窮めなければならないということである。

思うに、人の心は神秘的なもので、誰にでもそれなりの知が備わっている。

そして、万物に道理がないものはないのである。

ただ、物事の道理を未だに窮めつくしていないので、人知もまだ尽くされていないのである。

そこで、大学の教育では、まず学ぶ者をしておよそ天下の事物について、既に知られた道理を

手がかりにますますこれを窮め、その窮極に到達させようとするものである。

このように努力を久しく積み重ねて、いったん豁然と貫通するに至れば(心に悟りを開いたさま)、

即ち、あらゆる物ごとの表裏、精粗まで窮めつくし、さらには吾が心の全体、働きまでもが明ら

かにになる。

これを物事の道理が窮めつくされる「物が格る」といい、知識が窮極まで至った、「知の至り」

というのである。





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Last updated  Feb 28, 2010 12:00:16 AM
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