テーマ:晩学のすすめ(495)
カテゴリ:読書
所謂致知在格物者、言欲致吾之知、在即物而窮其理也。
蓋人心之靈、莫不有知、而天下之物、莫不有理。 惟於理有未窮、故其知有不盡也。 是以大學始教、必使學者既凡天下之物、莫不因其已知之理、而益窮之、以求至乎其極。 至於用力之久、而一旦豁然貫通焉、則衆物之表裏精粗、無不到、而吾心之全體大用、無不明矣。 此謂物格、此謂知之至也。 所謂知を致すは物に格(いた)るに在りとは、吾の知を致さんと欲せば、物に即(つ)いて その理(り)を窮(きわ)むるにあるを言うなり。 蓋し、人心の霊、知あらざる莫(な)し。而して天下の物、理あらざる莫し。 唯だ理において未だ窮めざるあり、故にその知尽(つ)くさざるあるなり。 是(ここ)をもって大学の始教は、必ず学者をして凡そ天下の物に即きて、その既に知るの理に よって益々これを窮め、もってその極に至らんことを求めざるなからしむ。 力を用うること久しく して、一旦豁然として貫通するに至れば、すなわち衆物の表裏精粗到らざるなく、わが心の全体 大用(たいよう)も明らかならざるなし。 これを物格(いた)るといい、これを知の至りというなり。 所謂、知を致すは物に格(いた)るに在りとは、自分の知を極めようと欲するならば、自らが 接する物ごとについて、内在するその道理を窮めなければならないということである。 思うに、人の心は神秘的なもので、誰にでもそれなりの知が備わっている。 そして、万物に道理がないものはないのである。 ただ、物事の道理を未だに窮めつくしていないので、人知もまだ尽くされていないのである。 そこで、大学の教育では、まず学ぶ者をしておよそ天下の事物について、既に知られた道理を 手がかりにますますこれを窮め、その窮極に到達させようとするものである。 このように努力を久しく積み重ねて、いったん豁然と貫通するに至れば(心に悟りを開いたさま)、 即ち、あらゆる物ごとの表裏、精粗まで窮めつくし、さらには吾が心の全体、働きまでもが明ら かにになる。 これを物事の道理が窮めつくされる「物が格る」といい、知識が窮極まで至った、「知の至り」 というのである。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
Feb 28, 2010 12:00:16 AM
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