テーマ:晩学のすすめ(495)
カテゴリ:大学章句
苟知其理之当然、而責其身以必然、則大規矩禁防之具、豈待他人設之、而後有所持循哉。
近世於学有規、其待学者、為已浅矣。而其為法、又未必古人之意也。 故今不復以施於此堂、而特取凡聖賢所以教人為学之大端、条列如右、而掲之楯間。 苟(も)し其の理の当然なるを知って、其の身責むるに必然を以ってせば、則ちかの規矩禁防の具、 豈に他人のこれを設くるを待ちて、而かる後持循(じじゅん)する所あらんや。 近世、学に矩(のり)ありて、その学ぶ者を待つは、已(すで)に浅しと為す。 而してその法たる、また未だ必ずしも古人の意ならざるなり。 故に今復(また)以ってこの堂に施さず。而して特(ただ)に凡そ聖賢の人に学を為すを教うる所以 の大端を取り、条(じょう)列すること右の如くにして、これを楯間(びけん)に掲ぐ。 もし、その理(この掲示に書かれている教え)が当然であることを知って、努力するならば、 他人が作ってくれた規則や禁令などの類を守ることに汲々とすることなどないのである。 (努力せずとも自然に身についてくるということ?) 近年、学校に規則を作り、学生に対しているが浅はかなことである。 さらには、その学則たるや必ずしも先人の考えにそったものではない。 故に、この白鹿洞ではそのようなものは作らず、ただ聖賢が人に学問を勧めた所以の大凡を採り、 それを右のように箇条書きにして教堂入り口にかかげた。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
May 20, 2010 10:08:39 PM
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