テーマ:心に残る言葉や歌(8)
カテゴリ:読書
現在読んでいるのは専ら「月刊文春12月号」。就寝から寝つくまでと、早く目覚めたときの時間つぶしに読むのでこま切れ読書となり殆ど身につかない。昨日か一昨日かなんとなく読んだノーベル賞受賞者へのロングインタビュー記事。ニューウトリノ振動の発見により質量があることを突き止めた東大の梶田さんかな。先生については生きておられれば一緒に受賞できたと言われる戸塚先生のことが記憶に残った。医学・生理学賞の大村智(さとし)さんへのロングインタビュー 「東大へ行かなくてよかった」(聞き手)科学ジャーナリスト馬場錬成さん。記事ではその考え方のユニークさと真っ当さに感銘を受けた。タイトルの「東大へ行かなくてよかった」には違和感があった。しかし発言の趣旨は「私みたいに自由に動き回る研究者は、はじき出されていたでしょう」ということで東大の研究者にならなくてよかった、ということ。ちなみに大村さんは山梨大学から都立隅田工業高校夜間部の理科教師になった。何故夜間部かというと、昼間に研究ができるから。そこで、働きながら学ぶ子供たちに触発されて東京理科大学の修士課程に入学し研究者と教育者を両立させていた。理科大卒後山梨大学の助手、2年後北里研究所入所、入所6年後(71年)に1年半アメリカ留学。帰国後アメリカの製薬大手メルク社と産学連携の契約締結。この契約がアフリカの風土病「オンコセルカ症(河川盲目症)などの特効薬となる抗寄生虫薬「イベルメクチン」の元となる微生物の発見につながった。
えらいのは、己の研究成果をちゃんとビジネスにつなげるルートをわずか一年半のアメリカ留学時代に見つけて帰ったこと。メルク社だからできたことで武田とかでは無理だったかもしれない。 これまで微生物などから450種類を超える化合物を発見し、内25種類余りが医薬品や農薬そして研究試薬として実用化されている。ロイヤリティーは総額で250億円くらいになる。これにより研究所の再建や病院建設がすすめられ、個人としても美術館を寄贈したり、人材育成のための「山梨科学アカデミー」を設立することができた。 これから先が大村さんのサイエンス哲学である。お金をどう使うのか。 大村さんは言う。「研究所を作ったり、病院を作ったということは自慢にならないんです。そのお金でサイエンスををやって見せないといけない、とずっと思ってやってきました。私が誇れるとしたらそれが実現できたことなのです」 「たとえば、放線菌のゲノム解析です。我々が9億円をかけて解析したんです」 『いま「地方創生」という言葉が盛んに言われています。しかし、すぐに公共施設を地方に作ります、というような話になってしまう。私が非常に不満なのは地方を再生するために「教育」という言葉がでてこないことです。事を動かすためには、教育から始めなくてはいけないのです』『何かをやろうと思ったらまず教育なのです』「小中高にいい先生を集めるためにお金を使って欲しいと思うのです』 『科学は日々進歩していいるにもかかわらず教科書に書いてあることだけ教えるわけです。これでは生徒たちが興味を持つわけありません。大学を卒業した後でも科学の最新事情を先生が学ぶ仕組みが必要なのではないでしょうか』 「教師たる資格は、自分自身が進歩していることである」。これは教師をしておられた母上が日誌の表表紙書かれていた言葉でいつも大村さんの頭の中にある言葉でもある。(以上、月刊文春のインタビュー記事からの抜粋) 大村先生80歳で僕より二つ上だけどものすごく幅の広い人物像。農家で育ち、高校時代はスキー部卓球部の主将、スキー国体出場、山梨大学学芸学部卒。遂に徳島大学に続いて、地方大学の学芸学部からノーベル賞受賞者が出る時代が来たか、である。宮崎大学農学部出身でアメリカ在住の研究者もノーベル賞候補者だと聞いたことがある。中国とか韓国とかが日本バッシングでおだ撒いているけれどサイエンス部門でのノーベル賞受賞者はいるのかな。大村さんも仰る通り「物事の始まりは教育に有り」であるね。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
Dec 3, 2015 11:12:23 PM
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